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    すばらしいクリスマスプレゼントが NHK・BShiから - 2010.12.20 Mon

    今週の土曜日はクリスマス。クラシック音楽好きにはすばらしいプレゼントをNHKのBShiが用意してくれています。午後11時からのプレミアムシアターで、フルトヴェングラー+ウィーン国立歌劇場の「ドン・ジョヴァンニ」(モーツァルト)とトスカニーニ+NBC交響楽団のワーグナーが放送されます。フルトヴェングラーとトスカニーニが一度に。技術の進歩のおかげで少年時代からの夢がまたかなえられます。マエストロたちの映像はyoutubeにも多数アップされていますが、全編が大画面で見られるのはやっぱりテレビのよさです。

    トスカニーニ フルトヴェングラー 
    なんともカッコいいじいさんたち

    ●伝説のチェーザレ・シエーピの勇姿が

    フルトヴェングラーの「ドン・ジョヴァンニ」のキャストは(ドン・ジョヴァンニ)チェーザレ・シエーピ、(騎士長)デジェー・エルンシュテル、(ドンナ・アンナ)エリーザベト・グリュンマー、(ドンナ・エルヴィーラ)リーザ・デラ・カーサ、(ドン・オッターヴィオ)アントン・デルモタ、(レポレルロ)オットー・エーデルマン、(ツェルリーナ)エルナ・ベルガー、(マゼット)ワルター・ベリーと夢のようなラインナップ。そしてフルトヴェングラーの姿が拝めるだけでなく、昔レコードのジャケット写真で見たチェーザレ・シエーピの勇姿が「動く」のです。

    シエピ 

    ●「インターナショナル」つきヴェルディ

    トスカニーニにもこれに劣りません。歌劇「タンホイザー」序曲【1948年収録】、歌劇「ローエングリン」序奏【1948年収録】、楽劇「トリスタンとイゾルデ」から 前奏曲と愛の死、 【195年収録】楽劇「ワルキューレ」から ワルキューレの騎行【1948年収録】(以上 ワーグナー)です。さらに諸国民の賛歌(ヴェルディ)【1944年収録】というおまけがつきます。根っからのファシスト嫌いでアメリカに亡命していたトスカニーニは大戦中「諸国民の賛歌」には「インターナショナル」とアメリカ国歌を加えていたことで知られます。

    ●「暴力装置」世代にはなつかしい

    「インターナショナル」といってもいまの人たちにはピンと来ないと思います。社会主義革命の歌です。1917年から1944年の間、ソビエト連邦の国歌でもありました。トスカニーニは「諸国民の賛歌」をナチス・ドイツと戦う連合国の応援歌としたのでした。一方、フルトヴェングラーは、ナチス・ドイツに留まったため、戦後にナチス協力者として非難されるのですが、その実相はいまだにはっきりしません。「インターナショナル」は団塊の世代以上の人にはなつかしい歌です。仙谷由人官房長官の「暴力装置」発言に血が騒いだ人にはとりわけなつかしいでしょう。


    インターナショナル

    ●技術の進歩に感謝

    とまれ、戦前、戦後を通じての音楽の巨人がひとまとめにしてみられるのです。聞くのにもエネルギーを要しそうです。そんな方にはディジタル時代のよさ、HDDレコーダーという強い味方がいます。ブルーレイやDVDに落としておけば保存も効きます。先日はカラヤン+ミラノ・スカラ座のヴェルディ・レクイエムのディジタル・リマスター版がやはりNHKのBShiで放送されました。レオンティン・プライス(ソプラノ)、フィオレンツァ・コッソット(メッゾ・ソプラノ)、ルチアーノ・パヴァロッティ(テノール)、ニコライ・ギャウロフ(バス)という夢のキャストでした。ひげのない、太っていないパヴァロッティです。録画してブルーレイに落としたのですが、HDDの方のデータを消しかねています。こんどのフルトヴェングラーもそうなりそうです。



     

    私の好きなホテル(1) 松本ホテル花月 - 2010.12.16 Thu

    信州・松本での宿泊先は、4年前から利用するようになった「松本ホテル花月」でした。このホテルは私のお気に入りのホテルの1つです。新聞社の海外特派員として任地の欧州、中東のホテルを数多く体験しましたが、明治29年創業の「花月」は海外のよいホテルに負けない質を持っていると思います。

    花月 花月イラスト 

    ●日本旅館かホテルか

    日本旅館は風情において捨てがたいものがあります。しかし、人件費の高騰からかつてのようなきめ細かいサービスを期待すれば料金はかなりの高値になってしまいます。また、夕食の時間が縛られますし、豪華で量の多い食事はむしろ負担です。そこでホテルを利用することにしています。でも、数ある日本のホテルはまま豪華すぎたり、みすぼらしかったり、サービス過多だったり、ぎごちなかったり、なかなか適度なホテルにぶつかりません。

    ●必要にして十分なサービス

    「花月」のよさは「必要にして十分なサービス」「過不足のないサービス」です。大きなホテルではないため、従業員は宿泊客の顔を覚えています。客の注文に対する受け答えや対応は素っ気なくもなく、仰々しくもありません。よくみかけられるマニュアル風応対でなくソフトで真摯です

    ●持続する気分

    ロビー ツイン 
    ロビー              旧館のツイン
    (松本ホテル花月のHPから)


    私はいつも、本館ではなくレトロな旧館の部屋に泊まります。落ち着いたインテリアと質実な松本民芸家具で統一された家具調度は、本館から旧館、客室からロビーさらにレストランに移っても、常に同じ気分を持続させてくれます。

    ●信州の進取の気性がここにも

    こぢんまりと質素で、アットホームな充実したサービスを提供してくれるドイツの小都市のホテルのような味わいがあります。「新宿中村屋」「岩波書店」の創業者を生み出した信州人の進取の気性が西洋風のホテルというかたちをとって現れているようです。

    ●松本観光に地の利

    上土 

    「花月」のある上土地区には、ほかにも大正浪漫の香り高い古い建物が残っています。「白鳥写真館(上左)」のファサードは最近修復されました。隣の古いビル(上右)のファサードのステンドグラスの間にコンピュータ関連企業の銘板があるところも、ドイツを思い起こさせます。玄関を出ると和菓子の「東門磯村」、近くにはモダンな「蕎麦倶楽部佐々木」やおでんと焼き鳥の民芸居酒屋「しづか」が。国宝松本城にも、中町通り、縄手通りや日本人形の問屋街の本町も歩いて行けますから市内散歩の基地としても地の利があります。

    ●身も心も温まる「とうじそば」の朝食

    「花月」のレストラン、喫茶は昭和のムードの「洋食」です。冬の今回は、朝の和定食に北アルプス山間部の郷土料理「とうじそば」が用意されていました。からだも心も温まる「とうじそば」好きの私にとってはこたえられないサービスでした。温泉ではありませんが、地下の大浴場が午後4時から翌朝10時まで切れ目なく利用できるのもうれしいサービスです


    松本ホテル花月のHPから





    そろそろミュージカル好きに 「マンマ・ミーア!」初日 - 2010.12.13 Mon

    12月12日(日)から東京・汐留の電通四季劇場「海」でミュージカル「マンマ・ミーア!」が始まりました。2002年12月のこの劇場の柿(こけら)落としの演目だった「マンマ・ミーア!」は2年間のロングランと全国公演計2000回の後、東京への凱旋公演です。私にとっても柿落とし以来2度目の鑑賞でした。

    ●ABBA世代がいっぱい

    ABBA 

    初日の観客席は満員です。幕が開いてスウェーデンのグループABBAのビートのきいた「ハニー・ハニー」が流れ出すと、右隣に手拍子を打たんばかりにからだを動かす観客がいます。ほかにも。ちなみにわが女房どのも左隣で「右に(?)同じ」。はい。ABBAが活躍した時代にティーンエイジャーだった女性たちです。東京再演にあたって、あちこち手を入れた劇団四季の自信作です。初演のときに比べてさらに集中度が増していました。ミュージカルが終わると観客総立ちのスタンディング・オベーションです。その中には、トヨタ自動車の豊田章男社長の姿も見えました。

    ●ドキドキの鑑賞

    初演の日は俳優のみなさんは緊張しますが、今回は私もかなり緊張しての鑑賞でした。プログラムにエッセイを書いたからです。ピントの狂ったことを書いていないかどうか。それは実際の舞台と照らし合わせてみないとわかりません。けっこうドキドキして舞台に集中しました。

    ●ABBAをよく知らなかった

    「わかってたまるか!」のような政治性の強い演目については書いたことがありますが、人生、それもおんなのドラマというのは初めてです。依頼を受けてからはたと気づいたのは、私はABBAをあんまりよく知らないということでした。ABBAが世界を席巻したのは、1970年代後半です。その時期私は地方記者として長野で、続いて東京の政治部で昼夜を分かたない激務に追われていたころです。おつきあいするのは県議さんや国会議員などの年配男性ばかり。デートもできない20代でした。Bの一文字が左右ひっくり返ったABBAの名前はもちろん知っていたのですが、忙しくてABBAどころではありませんでした。

    マンマミア
    プログラムから

    ●安倍寧さんに笑われる

    今回プログラムにエッセイを書くにあたって、メリル・ストリープ主演の映画のBDを見て、日本初演のプログラムを再読し、初演のイメージを呼び返して。ヒット曲の数々はやはり、忙しかった私の記憶にも刻み込まれていました。幕間のロビーで音楽評論家の安倍寧さんにお会いしたので、「今回はまじめに予習したので、よくわかりました」と話したら、「いや、そんなにむずかしく考えなくていいんだよ」と笑われてしまいました。実際、我ながらけっこう勉強しました。幸い、ピンクルではなかったようで、私も解放されてスタンディング・オベーションの渦に加われました。

    ●「加齢」の効用も

    8年前には、舞台にただただ圧倒されていましたが、今回は細部を楽しむことができました、主役のドナの親友ロージーを演じる青山弥生さんの腰痛、膝痛のしぐさは最近変形性膝関節症が始まった私には、身につまされて印象的でした。終演後のパーティで、青山さんに「すばらしい演技でした」と申し上げたのはもちろんです。8年ののちに、それを印象的と思えるようになったのは、「加齢」のたまもの。私も成長しました(笑)。


    四季劇場 

    ●私もそろそろミュージカル好きに

    劇団四季のファンにリピーターが多いのはつとに知られています。私も最近リピートすることのよさがわかってきました。また、劇団四季の場合は常打ち小屋を東京だけで、5つも持っている世界でも珍しい劇団です。常打ち小屋の同じ環境でリピートできることは大きなメリットでしょう。だんだん、私もミュージカル好きになってきたようです。




     

    おいしい塩ザケが食べたい(2) - 2010.12.10 Fri

    7日のブログで書きましたように、私は熟成した塩蔵水産物が大好きです。ですから、町の魚屋さんをのぞくのが大好きなのですが、おいしい塩ザケに出くわす機会はなかなかないものです。お金をたっぷり払って毎回村上の塩引きを取り寄せれば満足するかもしれませんが、そんなことはできません。さらには、貧しかった子供時代へのノスタルジアをかきたてる、もっと庶民的な魚イワシまでが、最近は「塩分控えめ」の犠牲になっているのをみると、痛ましい気さえしてきます。

    ●庶民の味方イワシよ!おまえもか!

    かつては、魚屋さんの店頭に山のようになっていた丸干しのイワシや下魚中の下魚であるメザシまでもが最近では、ときには「冷凍」でケースの中に入っています。こうしたイワシたちは、柔らかく、水っぽくて、かつてのような適度の歯ごたえと、噛みしめるとわき出してくる旨みに欠けています。イワシに申し訳ない気がしてしまいます。

    メザシ 

    ●地中海ではアンチョビ、海の民は塩味を愛す

    塩蔵水産物の旨みを愛でてきたのは、日本人だけではありません。地中海沿岸ではアンチョビ(カタクチイワシ)の塩漬けが欠かせません。イタリアのパスタソースである「プタネスカ」は「娼婦の」という名の通り庶民的です。味を作り出しているのはトマト、オリーブ、ケイパー、ニンニクと、それを旨みと塩味で演出するアンチョビです。サラダに、ピザに、アンチョビはアミノ酸発酵による旨みで貢献します。単なる塩味ではないのです。さすが、地中海の民は、海のめぐみをよく知っています。

    ●アンチョビの徳用瓶を見つけたおまけが

    アンチョビ 

    そんなわけで、我が家ではアンチョビの消費量が半端ではありません。しかし、庶民の調味料のアンチョビは日本では、まだ嗜好品扱いです。スーパーの棚に並ぶ小さな缶詰や瓶詰めではコストパフォーマンスが悪すぎます。「業務用があるはずだ」とインターネット上で捜してみたらありました。いわく「ピース・オブ・アンチョビ/MARECHIAROブランド」。切れ端や規格外を徳用瓶に詰めたもので、700gが2,160円です。早速取り寄せて重宝しているのですが、これを捜す過程で、すばらしいものを見つけました。

    ●「エタリの塩辛」は日本のアンチョビ

    エタリ 

    それが「エタリの塩辛」、長崎県の特産品です。エタリはカタクチイワシ。まさにアンチョビの日本版です。さすが日本人、海の民です。先日長崎に講演にいったとき、法政大学での私のゼミ生だった現長崎文化放送アナウンサーの上枝一樹さんにエタリの話をしたら、長崎育ちの彼は当然「エタリの塩辛」を知っていましたし、おまけにそれを作っている漁師さんを番組で取材したことがあるとの話です。帰京ご早速「エタリの塩辛」を送ってくれました。

    ●「白亜紀トースト」?

    「エタリの塩辛」の作り方、食べ方については
    「エタリの塩辛愛好会」というHPに説明を譲りますが、私がよくやる食べ方をひとつだけご紹介しましょう。トースト用のパンにピザ用のチーズを敷いて、その上にエタリの塩辛をのせてトースターへ。焼き加減はお好みで。「エタリ・トースト」のできあがりです。その姿が、考古学時代のサカナの化石に似ているので、私は勝手に「白亜紀トースト」とか「ジュラ紀トースト」と呼んでいます。サカナの目がにらんでいるのが怖いという方はエタリをすりつぶせばよろしい。そのペーストにマヨネーズを少量混ぜて使うと、さらに味は微妙になります。

    エタリトースト 

    ●塩分控えめは食べる量で実現(のつもり)

    アンチョビとエタリの塩辛を比べると、熟成した塩味の丸みという点ではエタリが少し上回っていると感じるのはひいき目でしょうか。いずれにせよ「エタリの塩辛」と「アンチョビ徳用瓶」が冷蔵庫にある限り、私の食生活は豊かです。あとは食べ過ぎにさえ気をつければよいのですから。

    (続く)
     

    海老蔵さん記者会見  しかし、損害は大きい - 2010.12.08 Wed

    暴行を受けて顔などにけがを負った歌舞伎俳優、市川海老蔵さんの顔には、左眼の白目の内出血以外には、とりあえず大きな障害はないように見えました。記者会見の速報をテレビで見て、海老蔵ファンの私としては、少し安心しました。しかし、海老蔵さんは「全治2カ月。しびれに関しては骨が5つに粉砕されております。8ミリ陥没して、三叉神経に障害があるということです。しびれがとれるかどうか分かりません。医者からはしびれはとれるかもしれないが、とれないかもしれないと言われました」と話しました。私の安心はぬかよろこびだったのかもしれません。海老蔵さんは今後の公演への出演を無期限に見合わせることになりました。これは単なる謹慎にとどまらない意味を持つのでしょう。

    ●事件は芸に影響するか

    事件そのものは司法当局によって、法と証拠に基づいて結論が出されます。それとは別に気遣われるのは海老蔵さんの心理です。「暴行を受けているとき、逃げている最中、死ぬかと思った」と海老蔵さんは語りました。市川宗家は荒事を家の芸としています。歌舞伎十八番の役どころの多くは、気は世を蓋う英雄です。舞台を飲み、観客を飲む気概が求められるのに、事件の言いしれぬ恐怖が、芸のスケールを萎縮させることはないでしょうか。

    ●自ら選んだ行動の結果

    「親は選べないが、友人は選べる」といわれます。海老蔵さんは、たまたま市川宗家に生まれたという偶然の故に当代一の花形役者になりました。もちろん、素質も精進もあったでしょう。しかし、市川團十郎の跡取りに生まれたという事実は海老蔵さんの努力の結果ではありません。その一方で、海老蔵さんは自ら選んだ交友関係の結果、事件に遭遇しました。記者会見で海老蔵さんは、加害者たちは顔見知りではないといっています。それが事実としても、あの時間、あの界隈で、あの種類の人たちと遭遇したのは、海老蔵さんが自ら招いたこと以外のなにものでもありません。それが残念です。

    ●多くの人々を傷つけた海老蔵さん

    海老蔵さんは自ら肉体的、精神的に傷ついただけでなく、花形役者の看板に傷をつけ、市川宗家、歌舞伎界に傷をつけ、歌舞伎ファンを悲しませ、経済的にも各界に損害を与えました。それが自ら選んだ行動の結果であるということを深く反省し、謹慎しなければならないでしょう。

    ●「外郎売り」は門閥出でない片岡愛之助が代役

    一方、30日に始まった京都・南座の「吉例顔見世興行」では夜の部で成田屋=市川宗家のお家芸『外郎売(ういろううり)』の曽我五郎役を海老蔵に代わって片岡愛之助さんが務めています。この役は本来海老蔵さんが演じるはずでしたが、3日前に言い渡された身代わりだそうです。片岡愛之助さんは上方歌舞伎の立ち役のホープです。海老蔵のように名門の出ではありません。歌舞伎界とは無縁の一般家庭の出身です。5歳の時、親のすすめで松竹芸能の子役のオーディションに応募、芝居の世界に入ったのがきっかけでした。その後、13代片岡仁左衛門の部屋子となって力をつけてきたといいます。

    ●「血統」と「実力」を考えるきっかけ

    名門の出なら、だまっていてもよい役がつくのが歌舞伎の世界です。歌舞伎が好きで飛び込んできた一般の人も多くいますが、多くは御曹司たちを支える役回りになっているようです。御曹司の「おごり」が招いたともいえる今回の事件が、「血統」と「実力」の問題を考えるきっかけになるとよいのですが。





    アテモヤが届いた - 2010.12.03 Fri

    これはなんでしょう?

    アテモヤ1 

    沖縄から届いたフルーツ、アテモヤです。もう8月から予約していて、収穫期になってやっと手にいれることができました。といっても、日本ではまだなじみの薄いフルーツです。釈迦頭というフルーツととチェリモヤというフルーツを交配し、米フロリダで品種改良されました。名前は釈迦頭のブラジルでの呼び名アテ(Ate)と、チェリモヤ(Cherimoya)のモヤから付けられました。食感や風味がパイナップルに似ていることから、台湾では鳳梨釋迦(パイナップル釈迦頭)と呼ばれています。

    釈迦頭というように外見は螺髪(らほつ)がついたお釈迦様の頭のようです。

    螺髪 

    果肉は、パイナップルをねっとりさせたような食感で、完熟させるとクリームのような舌触り強い甘さに、程よい酸味芳香を兼ね備えています。

    アテモヤ2 

    初めてお目にかかったのは、数年前台湾に旅行したときです。台北のスーパーで見慣れぬフルーツを見つけました。シールには「鳳梨釈迦」とありました。名前も珍文漢文です。れ残りだったのか、完熟していました。スターフルーツなどと一緒に買ってきました。まったく期待していなかったのですが、食べてみて、そのすばらしいおいしさにすっかり感動してしました。そのとき撮った記念写真がこれです。

    鳳梨釈迦 
    台湾の鳳梨釈迦

    さあ、帰国してから、折あるごとに、果物屋さんや、デパート、スーパーで捜しましたが、ついぞお目にかかりませんでした。一回だけ東京・市ヶ谷の「私学会館」のパーティで遭遇しました。今回はインターネットで捜して「お取り寄せ」で入手しました。決して安いものではありませんので、そうそうお取り寄せというわけにはいきません。

    台湾のものと比べると、甘みはひけをとりませんが、台湾のもののようなすっきりとしていて、それなのにねっとりした食感と水分には数歩譲ります、やはり、これは気候風土の違いかもしれません。しかし、勤勉な日本の果物農家のことです。沖縄の農家の今後に期待します。ぜひ一度試してごらんになることをおすすめします。ハマリますよ











    美術館にはおいしいカレーが - 2010.11.26 Fri

    以前このブログでご紹介した「ロックの好きな文部大臣」、故砂田重民さんは、美術についてもユニークな発言を残しています。福田赳夫内閣のころ、日本は米国から貿易黒字減らしを厳しく迫られていました。芸術行政を担当する砂田さんは、福田首相から、美術品の輸入を命じられていました。

    ●美術館にはおいしいカレー

    curry 

    「道楽」と思う方もおられるかもしれませんが、それは違います。価値のある芸術作品の輸入は国富を増やすことです。砂田さんは、その仕事を楽しんでいたのですが、あるとき、こんなことばをもらしました。「萩谷君。美術館にはおいしいカレーが必要なんだよ。おいしいカレーを目的に美術館に来るのもいいじゃないか」。

    政局取材に血道をあげていた当時の私には、その意味を正確には理解していませんでした。その後、私はドイツ海外放送(ケルン)に派遣されました。そして、シュツットガルトの州立美術館の老監視員の導きで、美術館通いにめざめたことは、昨日のブログに書いたとおりです。

    ●芸術はおなかをすかせる

    basel 
    バーゼル市立美術館

    それから2か月後、休暇でスイスに旅行しました。最初に入ったドイツ国境の町バーゼル市立美術館を訪ねたのはいうまでもありません。この美術館はハンス・ホルバインのコレクションをはじめ、西欧絵画のコレクションが充実しています。また、ダダイズムやシュルレアリズムなど、現代美術も多数所蔵しています。

    欧州絵画の歴史を概観して疲れた頭を美術館のカフェで休めていると、隣のテーブルに70歳近い女性3人がおしゃべりしています。何とはなくその話の輪に入れてもらいました。聞けば、3人は女学校の同級生、もう50年以上の仲良しだそうです。月に1回市立美術館に集まって、カフェでおしゃべりを楽しむのだそうです。

    museumscafe 
    ドイツのある町の美術館カフェ

    「全部は見ないのよ。気分に合ったコーナーだけ」「あとは、ここでおしゃべり」。すると、もう一人が合いの手を入れました。
    「Kunst macht hungrig!」(芸術はおなかをすかせるのよね)。事実、彼女たちは健啖でした。

    ●カフェにはお酒も

    カフェには軽食やケーキのほか、ワインやコニャックまで用意されていました。「ときには、ワインをいただくこともあるわ」。そのとき、私は砂田さんのいったことを具体的に理解しました。美術館は芸術を勉強するだけの場所ではありません。絵画や彫刻を楽しむ憩いの場であり、人との邂逅の場でもあるのです。その触媒になるものは食べ物であり、飲み物です。肩をいからせて芸術を鑑賞するだけでなく、おいしい食べ物を仲立ちに、友と語らい、そして芸術に自然に親しんでいく。砂田さんの意図するところはそこにあったのでした。それからの私は、美術館に行ったとき、必ずカフェに寄り、ビール、ときにはワインをたしなみながら、絵の余韻を楽しむようになりました。ただ、いったんアルコールが入ると、もう一回見る気力が失せるのが玉にキズです。

    ●砂田さんの哲学が現実に

    sunada 

    砂田さんとの会話から30年余がたちました。いまでは、日本の美術館の多くは、すてきなカフェを併設しています。砂田さんの理想が達成されているといってよいでしょう。当時、砂田さんは「ロックの好きな文部大臣もいたよ」という広告コピーにもなりました。このブログを書くために調べていたら、なんと、あのネット掲示板2chの8月の書き込みに「ロックの好きな文部大臣(砂田重民)」というのを発見しました。砂田さんが、このように知られたのには、私の記事も少しは貢献したのですが、「美術館にはおいしいカレーが必要」ということばが残らなかったは、記者として私が鈍感だったせいかもしれません。








     

    カンディンスキー プラスアルファ - 2010.11.25 Thu

    東京・丸の内の三菱1号館美術館で開催されている「カンディンスキーと青騎士」展の展示作品の実家であるドイツ・ミュンヘン市立レンバッハハウス美術館を家族で訪れた1996年、うれしいプラスアルファがありました。

    ●3人の息子を呼び止めた監視員

    膨大なカンディンスキーの展示を見終わり、別棟へ向かう通路で、年配の監視員が中学生、小学生、幼稚園児だった3人の息子たちを手招きします。彼の持ち場の一室を覗くと、広い床面に規則的に石が並べてあります。現代作家の作品でした。「お子さんたちはドイツ語がわかりますか?」。オーストリア、ドイツと都合5年目のドイツ語圏でしたが、息子たちはブリティッシュ・スクールに通わせていました。「まあ、いいでしょう。ドイツ語になったら親御さんが通訳してください」と彼は息子たちに、数学の数列を使ったその作品を説明してくれました。息子たちが理解したかどうか、それはわかりませんが、これはドイツの美術館にはよくあるサービスです。

    lenbachhaus 
    レンバッハハウス美術館の庭にはMaxErnstのおもしろい彫刻が並ぶ

    シュツットガルトでも老監視員が

    私がドイツの放送局に派遣された1981年、はじめての出張で訪れたシュツットガルト。水曜日の夕方、時間があいたので州立美術館を訪ねました。4月とはいえ、雪が降った寒い日の夕方です。観覧客もほとんどいない美術館の一室で私の足が止まりました。ドイツ表現主義のオスカー・シュレンマーの絵の前でした。しばらくすると、年配の監視員が近寄ってきます。「この絵がお好きですか?」。幼いころ父の書棚にあった美術全集でシュレンマーの絵を見て、印象に残ったことを話すと、彼は説明を始めました。

    Staatsgallerie 
    シュツットガルトの州立美術館(いまは新築の別の建物に)

    ●お若いの、にやさしく説明

    「シュレンマーはもともと建築家でした。ですから、構成には興味はあるけれど、人間の顔には興味がなかった。だから、ほら、ここの人物は全部横顔でしょ」。当時私は33歳。日本人は童顔ですから、彼にはまさにJunger Mann(お若いの)です。やさしく説明してくれませす。次にウィーン分離派のオスカー・ココシュカの絵です。晩年描いたシュツットガルトの市街の絵でした。ココシュカは前年の1980年に94歳で亡くなっていました。「ココシュカは大家になった晩年、あちこちの町に頼まれて、こうした絵を描いています。でも、つまらなかったんでしょうね。よく見ると、絵の中にいたずら描きをしています。ほら、この絵の空の部分にヨットが、人の顔があるのがわかるでしょ」

    schlemmer 
    オスカー・シュレンマー「バウハウスの階段」

    ●オットー・ディクスとの出会い

    そして次にあたりを見回すと、「私は本当はこの部屋を離れてはいけないんだがね」と言いながら、少し離れた部屋に私を引っ張って行きました。そこには、Neue Sachlichkeit(新即物主義)の画家オットー・ディクスの代表的大作、Triptychon(三部作)「大都会」がありました。私はそのときまでディクスを知りませんでしたが、彼のお気に入りだったのでしょう。退廃芸術としてナチスに迫害されたディクスの生涯、爛熟した戦間期の大都会の生活を描いた大作の構成について彼は丁寧に説明してくれました。 オットー・ディクスがお気に入りの画家になったのはいうまでもありません。

    Grossstadt 
    オットー・ディクスの「大都会」

    ●美術館はその町の歴史を、人を知るよすが

    このときから私の美術館通いが始まりました。その後もいろんなところで、彼のような監視員に恵まれました。「芸術が好き」「その喜びを多くの人に分け与えたい」と思う人々です。ヨーロッパの町はどんな小さなところでもたいてい美術館があります。そこで生まれた大家やそこで暮らした大家だけでなく、その町に縁のある日本では無名な芸術家の作品が収蔵されています。その町の歴史やコミュニティがそのまま美術館のコレクションのポリシーになっています。作品そのものだけでなく、そのポリシーを知ることが、その町を、歴史を、そして人を知る手がかりになっていったのです。そのきっかけを与えてくれたシュツットガルトの州立美術館の老監視員さんは、私の忘れ得ぬ人の一人です。










     

    カンディンスキー様 大挙ご入来! - 2010.11.24 Wed

     「カンディンスキーと青騎士展」(主催 東京新聞)が23日から、東京丸の内の三菱1号館美術館で始まりました。ドイツ・ミュンヘン市立レンバッハハウス美術館が所蔵するカンディンスキーを中心とするコレクションのうち60点が、ことしから始まったレンバッハハウス美術館の増改築を機に貸し出されたものです。東京新聞に勤める知人のおかげで、22日の内覧会に参加する幸運を得ました。

    poster 

    ●カンディンスキーの内的変化を知るのに絶好

    抽象画の先駆者ワシリー・カンディンスキーはモスクワ生まれのロシア人、1896年にミュンヘンに留学し、やがて抽象画に進みます。レンバッハハウスのコレクションはミュンヘン時代にパートナーだった女流画家ガブリエレ・ミュンターが寄付したものです。ですから若きカンディンスキーの内的発展を知るには最適です。

    ●抽象画は「むずかしい?」「いたずら描き?」

    absatract 
    カンディンスキーの抽象画

    抽象画というのは、ともすれば難解です。パブロ・ピカソも「あんないたずら描きならおれにもできる」といったたぐいの揶揄を浴びます。学校時代以来お絵かきが下手で劣等感を持ち続けている私もかつては、その類でした。しかし、1981年にドイツで生活する機会を得て、欧州中の美術館通いをするうちにそれは変わってきました。

    ●ピカソは具象の達人だった

    具象 
    ピカソ少年時代の作品

    その中でも大きな影響を与えてくれたのが、1982年の大晦日に訪れたスペイン・バルセロナの「ピカソ美術館」です。ここには、すでに具象画の達人であった少年時代から晩年まで作品が展示されています。具象から抽象への変移の必然性を私のような素人にも感じさせました。

    ●周到な作品選びがカンディンスキー理解を助ける

    それに負けないインパクトを与えてくれたのがレンバッハハウス美術館とカンディンスキーです。今回の東京の60点は膨大な作品群から周到に選ばれていますから、その作品に沿ってお話ししましょう。1901年の「ミュンヘン―イーザル川」(展示番号07)はまだ具象ですが、すでに色彩の意味が形象を上回っています。1903年の「花嫁」(12)はユーゲントシュティールとロシア的風景の混合でメルヘン的な雰囲気に充ち満ちています。このスタイルのカンディンスキーは甘美で妖しいまでの作品群を残しています。


     Isaar 花嫁 馬上の2人 
    イーザル川        花嫁             馬上の2人(今回非出品)

    ●決定的な意味を持った「色彩」と「光線」

    そして1908年の「ムルナウ―塔のある風景のための習作」(22)。ここでは、色彩が物の拘束を脱出して噴出し始めています。1909年の「オリエント風」(33)も同様です。こうした色彩の解放は、1904/1905年にミュンターと旅をしたチュニジアの影響であることは確実です。地中海の光がヴィンセント・ファン・ゴッホを変えたようにです。私のような素人には画家のこのような変化を知ることは絵を理解するうえでとても重要なことです。ドイツ表現主義が好きな私に、カンディンスキーは絵画を形象以外から見るなどさまざまなヒントを与えてくれます。

    murnau ORIENT 
     ムルナウ             オリエント風

    ●南の陽光は紫色?

    1992年正月、私はエルサレム中心街でユダヤ人の友人が営む画廊で、1人のロシア系ユダヤ人の若い画家に出会いました。画廊の店番をして生活費を稼いでいたその青年画家から、ゴルバチョフ改革のおかげでロシアから出てきて最初に描いたエルサレム旧市街の油彩を買いました。エルサレム・ストーンの町並みに注ぐ陽光に彼は紫色のトーンを混ぜていました。「ほんとうに紫色に見えたの?」と尋ねると彼は「そうだ」と答えました。まぶたを閉じたまま直射日光の下に出て目を開いたときの感覚です。その画家もカンディンスキーと同じ暗いロシアの出身です。

    jerusalem 
    Davi Kan の「エルサレム旧市街」

    ●光は画風を変える

    そのとき、彼はその後描いた「サロン」も買ってほしいといいました。明るい華やかなサロンでさんざめく女性群を色彩と光線主体に描いた絵でした。でも、大きな絵で、そのころ住んでいた日本のマンションでは掛けるところもありません。2000ドルという価格も障害でした。のちに、レンバッハハウス美術館でカンディンスキーの「オリエント風」を見た私は「しまった」と思いました。「サロン」はそれに似た雰囲気を持つ絵だったのです。南の陽光がここでも、画家を変えています。友人の画商は、その後彼Davi Kanをニューヨークに連れていって売り出しました。オペラでサロンの場面を見るたびに、悔やみます。

    ●館長みずからの解説も聞けた

    内覧会には、すでにこのブログにも登場したドイツ大使・フォルカー・シュタンツェル氏夫妻も来ておられました。VIPである大使には、ミュンヘンから来たレンバッハハウス美術館のヘルムート・フリーデル館長がご進講します。コバンザメよろしく、大使夫妻にくっついて解説を聴くという幸運にも恵まれました。

    三菱 

    ●建築としての三菱1号館美術館にも見る価値

    「カンディンスキーと青騎士展」は来年2月6日まで。ことし開館した三菱1号館美術館の明治のインテリアを楽しむのもまたよしです。東京のあとは愛知県美術館、兵庫県立美術館、山口県立美術館を回り、来年9月6日まで楽しむことができます。







    教え子と再会 長崎でのうれしいひととき - 2010.11.18 Thu

    滞在正味25時間だった長崎にも楽しいひとときがありました。法政大学での私のゼミの2期生、教え子の上枝一樹君との再会です。上枝君は長崎文化放送の入社3年目のアナウンサーです。

    長崎市電 
    長崎の市電(正確には長崎電鉄)は路面電車の博物館
    鉄ちゃんでなくてもうれしくなる


    原爆のあとを見学したあと、市電に乗って築町へ。長崎中華街の京華園で「長崎ちゃんぽん」という定番を、休日をとった上枝君と一緒にいただきました。立派になった教え子を見るのはなによりうれしいですね。中華街の入り口で、通りがかりの紳士にお願いして記念写真をパチリ。

    上枝 ちゃんぽん 
    上枝アナと私                京華園のちゃんぽん


    上枝アナウンサーは、いま木曜日と金曜日夕方の「スーパーJチャンネル」の長崎ローカル部分のMC、そして、土曜日午前9時半から情報番組「トコトン サタデー」のMCを務める大忙し。私が長崎に着いた夕方の「スーパーJチャンネル」では「自転車飯」という長崎ローカル料理のレポートをしていました。木曜日の「スーパーJチャンネル」には私も東京で出演していますから、江戸と長崎から師弟共演というのもさらにうれしいものです。

    上枝アナウンサーは長崎文化放送のHPに自分のページを持っています。テレビアナウンサーの目を通した長崎情報もご覧ください。右のリンクの欄からも飛べます。

    カステラ 
    福砂屋の「特製五三焼きカステラ」
    ひと味もふた味も違いました


    「ちゃんぽん」の後、また市電に乗って、長崎市の北の外れにある講演会場へ。上枝アナも町議さんたちの許可を得て、私の講演を聴いてくれました。「現役のゼミ生に」と、おみやげにくれた福砂屋の「特製五三焼(ごさんやき)カステラ」。2日後のゼミの時間のおやつに学生諸君と一緒にいただきました。これのまたおいしかったこと。





     

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    萩谷 順

     はぎたに じゅん

    Author: はぎたに じゅん
    TVコメンテーター
    法政大学法学部教授
    元朝日新聞編集委員
     政治記者、カイロ、ウィーン
     ボン特派員などを歴任
    出演番組
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