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    「屁のような人生」 水木しげるさんおめでとう - 2010.10.27 Wed

    ことしの文化功労者に漫画家の水木しげるさんが選ばれました。NHKの朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」によって、いまや知らぬ人もいなくなったでしょう。功成り名遂げての88歳。おめでとうございます。
     
    ●世の中変わった 文化庁も変わった
     
    漫画家で文化功労者に選ばれたのは故横山隆一さんがいます。横山さんの代表作は「フクちゃん」。戦前、戦後にわたり、朝日新聞、毎日新聞に連載されました。「漫画の神様」故手塚治虫さんは文化功労者には選ばれませんでした。60歳という若さでなくなったためでしょう。子ども向け、家庭向けの横山さん。新聞漫画に採用されたことを見ても、健全さは保証つきです。手塚さんはヒューマニスティックなストーリー漫画で、これまた保証つきの健全漫画です。これとはまったく違うのが水木さんの持ち味です。水木さんの顕彰は、まんがが市民権を得た何よりの証拠です。「文化庁も変わった」という感を強くします。

    水木しげる 
     
    ●水木しげるを教えてくれた友人
     
    「ゲゲゲの女房」で水木さんを知った方や「ゲゲゲの鬼太郎」で知った方は、暖かい水木まんがのイメージが強いかもしれませんが、1967年にはじめて水木さんを知った私はまったくちがうイメージを持っています。大学に入りたての私に水木まんがを教えてくれた友人は、なんと、あの鳩山邦夫さんです。彼と私は小学校、中学校の同級生。高校は違いましたが、大学でまた同級生になりました。
     
    ●紛争時代の学生はなぜまんがに魅了されたか
     
    大学紛争まで、まだあと1年の平和なころ。渋谷のパチンコ屋にけっこう一緒に行きました。そのとき、「おい、これはおもしろいぜ」と貸してくれたのが「墓場の鬼太郎」シリーズでした。これは、初期の「墓場鬼太郎」から「ゲゲゲの鬼太郎」への移行期間のバージョンです。クロのべた塗りの多い暗い画面、どちらかというと陰惨な絵、そして、暗いユーモアに私は魅了されました。
     
    1年後勃発した大学紛争。お決まりのコースで、青林堂刊の「ガロ」の愛読者になりました。まんがの多様性、可能性を教えてくれた水木さんの導きだったと思います。将来の不確実性を予感した学生たちは、古今の名作でなく、まんがに、なにかを求めていました。私もその学生大衆の中のちっぽけな一人でした。水木まんがでいえば、人間や社会のネガティブな面、「悪魔君」のメフィスト「鬼太郎」のねずみ男といったアンチヒーロー、どじで、みじめな、ときにはひきょうな市井の人々、にたまらなく共感を覚えました。なにせ、水木さんの米寿記念出版のタイトルは「屁のような人生」ですから。そして、水木まんがには理屈でない「反戦」の筋が貫かれていました。
     
    ●就職試験で「まんが問答」
     
    朝日新聞社の入社試験の面接のとき。当時はいまと違って、筆記試験を通って、すぐ役員による最終面接です。窓を背にしたエライ人。逆光でだれだかわからない人が「キミはまんがを読むかネ?」と聞きました。「読みます」と答えた私に、「どんな漫画家が好きかネ」。私は「私の好きな漫画家の名を、おそらくみなさんはご存じないと思います。名前をあげても意味がないでしょう」と答えました。
     
    クソ生意気な学生ですね。水木さんの導きで知った漫画家たち、たとえば林静一勝又進、さらに名前すら、いまのインターネットで捜すのが難しい漫画家たちが私のお気に入りでした。「新聞社のエライ人たちが知っていてたまるか!」という気持ちがありました。
     
    ●ありがとう 水木さん
     
    当時の朝日新聞社の幹部は心の広い人が多かったのでしょう。私は採用されました。私の人生の重要な転換点の陰で水木さんが舞台回しをしていたのです。そして、そのときの朝日新聞社のエライ人たちの年頃になり、「ひょっとしたら、彼らも知っていたのかも」と思い始めました。もう一つ、昔も今も、私は生意気な若い人が大好きです。
     
    我が家のトイレの小文庫には、「総員玉砕せよ!」など水木さんの作品が常備されています。long live! 水木さん。 長い間ありがとうございます。


      

    日独交流150周年オープニング - 2010.10.18 Mon

    「ニュースが起きたその日のうちに書こう」と無理をするのは、新聞記者時代の癖が抜けない業ですが、きょうは1日遅れの便りです。それを乗せたのは「白河夜船」という便船でした。

    Kindergarten 
    日独交流150周年オープニング式典で演奏する幼稚園児のバンド

    日独交流150周年オープニングが行われた16日の横浜市都筑区のドイツ学園。快晴の空の下、ビール3杯、ワイン3杯、フランクフルト名産アッペルヴォイ(リンゴ酒)1杯に、テューリンガー・ソーセージ2本+ジャガイモサラダ、グーラシュ・スープ1人前をいただいて旧友知人と楽しい時間を過ごして帰宅。夕食抜きで寝てしまったからです。

    でも、ソーセージ(Wurst)はさすが。日本のドイツ料理店ではまがいものが多いジャガイモサラダも少し酸っぱさがたりませんでしたが、本物。フランス料理が苦手のアンチ・グルメの私は大満足でした。

    Wurst 
    テューリンガー・ソーセージを焼くドイツ人ボランティア

    式典にはドイツからはるばるコルネリア・ピーパー外務政務次官林文子・横浜市長某外務副大臣が来賓として列席しました。あいさつを聞く限り、日本の外務副大臣は、おぼつかない印象でした。外務省の副大臣、政務官は、プロトコルを重視する仕事につく以上、日本を代表することのできる人材をあてなくてはなりません。

    この日は横浜日独協会の設立総会も行われました。日本で59番目の日独協会だそうです。国際都市横浜になかったということは驚きでした。だからというわけではないのですが、私も入会するつもりです。総会にはフォルカー・シュタンツェル大使が出席し、あいさつしてくれました。ありがとうございます。そしてすてきな年配の日本人の女性とお話ししたとき、彼女のおしゃれな赤い靴に目がとまりました。天晴れ、横浜。「赤い靴履いてた女の子」の本場ですね。

    日独協会 
    あいさつするシュタンツェル大使

    この日の見っけものは、Almdudler(アルムドゥードゥラー)というオーストリアの清涼飲料です。wikipedia日本版には項目はあるものの、書きかけです。英語のものでかんべんしてください。
    en.wikipedia.org/wiki/Almdudler

     
    ハーブの効いた炭酸飲料。Alm(アルム)はアルプスの語源であるAlp(アルプ=山の牧草地)のオーストリア表現。dudlerはドイツ語の
    「dudeln(単調な歌を歌う)する人」です。サウンドオブミュージックの牧歌的なオーストリア・アルプスをイメージさせる飲み物です。レーベルはティロリアン・ハットをかぶり、民族衣装を着た男女のイラストです。

    almdudler 
    Almdudler

    ウィーンに住んでいた頃、まだ幼かった息子たちは、コカコーラよりもこれがお気に入りでした。日本には正式に輸入されていませんが、日独交流150周年のために、オーストリア人コミュニティが特別に輸入したものだそうです。でも、お祭りが終りに近づいた夕暮れ、Almdudlerはたくさん売れ残っていました。なじみが薄いのですから仕方ありませんね。私たちはほくほくしておみやげに持てるだけ買い込みました。






    HARIBOは子どもたちを幸せに クマやシカも・・・・ - 2010.10.14 Thu

    各地でクマがヒトを襲うニュースが伝えられています。クマは人間にとって危険な野獣ですが、それ以外でも、イノシシやシカ、サルなどが人間の居住区域に侵入してきています。クマの場合、冬ごもりを前に、エサのドングリが不足していること、里山の荒廃、そして、クマ自体の数が増えていることなどが理由としてあげられています。

    クマ Kastanie 
    クマ                    カスタニエの実
    LUNA-drops                    Solipsist


    ●15年前の私の記事(1994年11月12日付朝日新聞朝刊)

    「カスタニエの実」(特派員メモ・ボン)
    自宅前の路面に白墨で「止まれ!クルミあります」と書いてあった。何だろうと思っていたら、学校が終わった午後、近所の10歳ぐらいの女の子が段ボール箱に山のように盛ったクルミを売っていた。

    「500グラム2.9マルク(200円弱=当時)」というので買ってきて、 「ウィーンに勤務していたときも家の前でクルミがとれたね」と思いだしながら、家族で食べた。当時の住所はその名も「クルミ山通り
    (Nussberggasse)」だった。

    女の子たちは近くの林で取ってくるのだが、1本向こうの通りでも、人は食べない街路樹のカスタニエ(マロニエ)の実がいたるところに落ちている。

    そんな時、日本にも製品を輸出している菓子会社が、カスタニエの実を菓子と交換してくれると聞いてきて、子どもたちがわきたった。学校帰りに拾い集めて通学途上にある工場に持っていったが、長蛇の列。  結局、家内だけが寒い中を2時間並んで交換してきた。経営者が持っている山のシカやイノシシの冬のえさにするための恒例の行事だという。

    カスタニエ1キロで100グラムの菓子と交換してくれる。「子どもにとっては悪くない比率だな」と思ったら、どっこい大人がいっぱい。それも、1人100キロまでの制限もものかは。家族ぐるみ車で運び込むのもいたそうだ。

    「自分の拾った実を食べるのはシカだろうかイノシシだろうか」と子どもたち。厳冬を前にした欧州の短い秋だが、こんな秋は楽しい。
    (ボン=萩谷順)

    ●HARIBOは自然と人の関わりを教える

    ここにある菓子会社はいまや日本でも有名なハリボー(HARIBO)。世界最大のグミの製造会社で、マスコットは首に赤いリボンをつけた黄色の熊です。ハリボーのドイツ語の宣伝コピーは、1935年に作られた
     "Haribo macht Kinder froh / und Erwachsene ebenso"(ハリボーは子供達を幸せにする、そして大人も)です。これは、ドイツでもっとも有名なコピーだそうです。

    gummi 

    ボン生まれのハンス・リーゲルさん(初代)が1920年にボンで創業した企業で、「HARIBO」はHans Riegel Bonnの頭文字をとりました。リーゲルさんは狩猟が趣味でした。冬になると、自分の持っている狩猟区の動物たちのエサがなくなるので、このイベントを思いつきました。いまでは、山のように交換されたカスタニエの実やドングリはリーゲルさんの狩猟区だけでなく、近隣の狩猟区の動物たちもうるおしています。

    HARIBO Nicolas17     HansRiegelJr 
    ボンにあるHARIBO本社       二代目のハンス・リーゲルさん
    (C)Nicolas17

    1936年以来続いているこのイベントはボンの年中行事のひとつです。近隣の国からもあわせて数万人が参加し、子どもたちを喜ばせるだけでなく、自然と人間の関わりを教える機会になっています。

    ●HARIBO macht Kinder froh

    Flug 
    Th1234

    HARIBOはドイツの旅行会社TUIと協力して、HARIBOの塗装をした旅客機(上の写真)を運航しています。この飛行機に乗れたら、子どもたちはうれしいでしょうね。



    HARIBOのテレビコマーシャルにはこんなのもあります。最後に出てくるのが、HARIBOの青い飛行機、そしてドイツで一番有名なCMソング
    "Haribo macht Kinder froh / und Erwachsene ebenso"です。私と同年配の方にはなつかしい、エーリヒ・ケストナーの「飛ぶ教室」の映画を使ったCMです。途中で教室に登場するのは、ドイツの有名な司会者
    Thomas Gottschalk(トマス・ゴットシャルク)。「飛ぶ教室」は
    HARIBOの飛行機という落ちです。

    ケストナーはナチス時代に自作の焚書など、さまざまな弾圧を受けたユダヤ系の作家です。日本では、「点子ちゃんとアントン」「エーミールと探偵たち」が有名です。画面に出てくるギムナジウム(高等中学)の生徒きまじめさ、いかにも理屈っぽい姿が、古きよきドイツ、さらには権威主義的ドイツを思い起こさせます。



    疲れたときに - 2010.10.10 Sun

    疲れたとき、みなさんは何をしますか。週末ですから、きょうは肩の凝らない話題です。

    それぞれに、それぞれの疲労解消法をお持ちでしょう。私もいくつかありますが、そのひとつがアラブの流行歌を聴くことです。まず、私の一番のお気に入りをお聞きください。アラブ世界での人気歌手 Hisham Abbasの歌です。



    この「wana wana」は、私がカイロ特派員だった1980年代末、アラブ諸国で流行していた曲です。ペルシャ湾岸諸国からアフリカ北西部のモロッコまで、人々の話すことばは、アラビア語です。アラビア語にも方言があり、エジプトの方言はかなり極端なのですが、アラブ世界の音楽、映画といった娯楽産業の中心はエジプトです。エジプトでつくられる音楽や、映画がアラブ世界一円に広まっているのです。歌手では、美空ひばりと淡谷のり子をたしたような故ウンム・カルスームがいまなお絶大な人気と尊敬を集めています。


    ウンムカルスーム Umm Kalhtum
    wikipedia commons


    「wana wana」を聞くと、そのリズムでひとりでに腰が動き出してしまいます。エジプトの女性たちは子供のころから、こうしたリズムでの踊りを覚えます。小節の効いたメロディは、アラブの演歌です。我が家の息子たちも、アラブ音楽が家の中に流れ出すと、カイロで育ったころを思い出して、表情もなごみます。

    もう一つ、Hisham Abbasの歌をお聴きください。




    曲中聞こえる、ハビビというのはアラビア語の「いとしい人」「ダーリン」です。アラブの流行歌には必ず出てくることばです。「アイワ、 ハビービ」といえば、”Oh yes, my darling!"です。甘ったるい曲が実に多いのです。また、それにトルコやユダヤから入ってきたメランコリックなメロディが混じってなんともいえません。そして、これらのビデオ・クリップに出てくる女性の美しいこと。エジプトにはほんとに美人が多かったなあ。

    アラブ世界を出張で飛び歩いていたころ、何もすることのないとき、ホテルの部屋でテレビの音楽番組を聞いたものです。エルサレムスーク(市場)を家族で歩いたときも、「wana wana」が流れていました。そのとき、カセットを買ったのですが、転勤、転勤で紛失。youtubeで見つけたときは、「やった!」と思ったものです。


    これが、サウジアラビアや、クウェートに行くと、もっと垢抜けない
    Gulf Singerがいます。日本の民謡を聴くようなもので、これもまたよしです。でも、残念ながら、これぞGulf Singerというものをyoutubeで発見できていないのです。

    みなさんも、アラブ音楽サーフィンをやってごらんになりませんか?

    ゆで卵 part2 ブログ開始1ヶ月 - 2010.10.06 Wed

     ご好評につき、「ゆで卵」part2です。
    ブログを始めて1ヶ月記念?です。

    卵のおしりに小さな穴を開けるドイツ製emsaのegg pickを使って「つるりと剥けるゆで卵」をつくる方法には、もうひとつのメリットがあります。それは、ゆで卵、とくに半熟卵をつくるときの、加熱時間の心配がいらないことです。


    ei
    さまざまなゆで上がり wikipedia commoms

    多くの方は、冷蔵庫から出したての冷たい卵を沸騰した水に入れると割れてしまうので、水からゆでるようです。その場合、水の量や火力、気温により温度の上がり方が変わるためタイミングをはかるのが難しいのです。これをはかるために「エッグメーター」と呼ばれる一種の温度計を一緒にゆでる方法があるそうです。しかし、「名人芸の半熟卵」に神経を集中できる「おとこの料理」ならともかく、多くの場合は、卵だけに神経を使っていることができず、「ああ、ゆですぎちゃった」になってしまいます。


    egg pickを使う方法なら、お湯を沸騰させて、静かに卵を入れるだけです。キッチンタイマーを「4分強」に設定しておくのが私のお気に入りのゆで加減。この方法を始めてから失敗したことがありません。なんてことを書いていたら、もうひとつ出てきました。ドイツKüchenprofi社のEipickerです。www.kuechenprofi.de/index.php 手をけがしないようになんと安全装置がついているのです。いかにも、ドイツ人の考えそうなことです。

    sicherung 
    zuが安全装置稼働 aufが解除
    といっても、ちょっと回すだけ


    さて、理想的な半熟卵はできました。次に悩むのはエッグスタンドに鎮座した卵をどうさばくかです。ナイフで軽くたたいて切る、スプーンを使うなどいろいろありますが、エッグカッターを使う方法はかなり知られています。
    egg cutter 
    エッグカッター

    そこで登場するのが、またまたドイツの秘密兵器です。我が家にあるものは、ドイツでワールドカップ・サッカーが行われたとき、ドイツから知人が持ってきてくれたものなので、頭の小さな球状のものは、サッカーのボールになっています。要は、卵にかぶせた金属の釣鐘状のものの上にから金属のボールを落として、卵に環状の割れ目を入れるというものですが、例によって、動画をごらんください。


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    というわけです。

    ドイツ人がゆで卵に、工業力を傾けてきた(!)ことは、これでわかりますが、他の国はどうでしょうか? wikipediaの各国語版を見ると、なかなか面白いものがあります。

    たとえば、スペイン語版、カタロニア語版の「ゆで卵」の項には、egg pickが写真つきで掲載されています。英語版には、egg pickはなく、古典的なゆで卵スライサーの写真。なんとなく、英国の食生活を想像させます。フランス語版はまるっきり愛想なし。傑作なのはドイツ語版。まあ、見てください。de.wikipedia.org/wiki/Gekochtes_Ei せっかくの秘密兵器の写真を紹介するかわりに、最適のゆで加減を実現するための数式Formel für die Kochdauerが掲載されています。下の方です。これも deutsche Gründlichkeit(ドイツ人の徹底性)でしょうか(笑)

    ところで、本邦では、パソコンの廃熱でゆで卵をつくる実験をした人もいるようです。
    akiba-pc.watch.impress.co.jp/hotline/20101002/etc_egg.html

    池内淳子さん逝く - 2010.10.01 Fri

     池内淳子さんが亡くなっていたことがわかりました。

    つい最近まで活躍していた息の長い女優さんでしたが、若い世代には、「きれいなおばあちゃん」ぐらいの印象しかないでしょう。和服、かっぽう着のほんとうによく似合う女性でした。最近では、かっぽう着はほとんど絶滅危惧商品。西原理恵子さんの「毎日かあさん」が着ているものといえばわかりやすいかもしれません。

    かっぽう着は主婦そしておかあさんのキビキビ働く姿によく合います。ですから、かっぽう着はおかあさんの象徴です。私たちの世代のおあかさんは、まだ和服を着ていることがけっこうありました。幼心のおかあさんに、池内さんを重ね合わせていた人が多いと思います。

    かっぽう着は、一方で小料理屋の女将のユニホームでもありました。いもの煮っ転がしなどおふくろの味を守り、お酒で男性たちの仕事の疲れをときほぐしてくれるおかみです。でも、池内さんの代表作のひとつ「女と味噌汁」の芸者てまりのような人は現実にはあまりいません。私が昔通った銀座裏の小料理屋のおかみは、毒舌でならした人でしたが、これも一つのおふくろ像。おかあさんという機能では、池内さんと同じだったのでしょう。その、おときさんを、あらためてなつかしく思います。

    きょう、スーパーJチャンネルのADの若い人たちに、「君たちの世代のおかあさん像はだれ」と尋ねて見たのですが、即座にこれという人は出てきませんでした。ある女の子が「10代の子のアンケートで、辻希美さんが理想のおかあさんにあげられていたのを見たことがあるんだけれど、信じられない」といっていました。女性の社会進出で、女性像も実に多様化しています。理想のおかあさんも多様化しているのでしょう。

    高度成長期の日本のおかあさんだった池内さんは亡くなりました。また、昭和が一段と遠くなった気がします。

    速報! つるりとむけるゆで卵 - 2010.09.29 Wed

     29日夜のNHK総合「ためしてガッテン」でつるりときれいにむけるゆで卵の作り方をやっていました。

    家内と食事をとりながら見るうちに、「ドイツの秘密兵器(大げさ!)を皆様にお教えしなければ」という結論に達し、番外編を急遽つくりました。動画も入れる速報の練習として見てください。

    「ためしてガッテン」のミソはこうです。
    ゆで卵のカラがきれいに剥けず、つるりとしたゆで卵にならないのは、生卵の中にある二酸化炭素がじゃまをしている。二酸化炭素が放出されるようにゆでればよい。その方法は、タマゴのお尻、気室のある方のカラにヒビを入れてゆでればよい。

    そこで、その通りやってみました。タマゴの賞味期限は10月10日です。お尻のヒビが見えるかな?

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    たしかに、つるりとしたゆで卵になりました。でも、上手にヒビを入れるのに失敗することもありますよね。そこで、ドイツの秘密兵器の登場です。

    秘密兵器 

    タマゴの右にあるのがそれです。この秘密兵器でチョチョイとやってからゆでるとあら不思議。といっても、「ためしてガッテン式」と同じナベで同じ時間ゆでました。賞味期限も同じです。10.10.10と数字が並んでいます。縁起いいかも。

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    やはりつるりと剥けます。
    タネとシカケはあります。くぼんだ底にある小さな穴の上にタマゴのお尻をのせてぐっと押すと、上の部分が少し沈んで、穴の中から金属製の針がわずかに飛び出して、カラに小さな穴を開けてくれるのです。手でヒビを入れると、まちがってタマゴを割ってしまうかもしれませんが、これならまず安全です。不器用な人の必要が母となって生んだ発明です。といってもドイツ人の発明ではないかもしれません。ともあれ、底にはドイツ製emsaと書いてあります。家内はドイツで一人暮らしをしていた30年前から使っています。

    調べてみたら、http://www.emsa.de/english/product_detail.php
    でした。インターネット時代はすばらしい。

    同様の仕掛けの商品「トントン たまごのカラ割りセット」がamazonジャパンで、735円で売っているのもみつかりました。「在庫1点」だそうです。手に入らない場合は、画鋲の針の上にタマゴのお尻を座らせて、穴をあけるとよいでしょう。画鋲を使う方法はwikipediaにも出ています。

    夫婦して、食後にゆで卵を一つずつ食べてしまいました。おなかいっぱい


    秋の予感 - 2010.09.14 Tue

    9月13日、信州・松本からの帰路。夕空があまりに美しいので、中央道・双葉SAに入りました。


    彩雲というのでしょうか。

    山脈の稜線に沈みゆく夕陽が、多様な雲のかたちに複雑な赤のグラデーションを映し出していました。ねぐらに帰る鳥たちの大群がそれをバックに飛び回る姿を動画に収めました。

    動画のアップロードの手習い。うまくいくかな?

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    ちょっと見にくいかな?

    オリジナルの画面サイズは16:9なので、画面左下の三角をクリックして動画を動かしてから画面右下の拡大アイコンをクリックしてください。


    この夏は信州も異常な暑さに加え、例年にない湿度に悩まされたとのことです。前夜の松本も、午後11時すぎの気温が27度。

    40年前、信州に暮らしたことのある私としても驚きでした。
    でも、赤く染まった甲州の夕空にようやく秋の予感を得ました。


    クレージーキャッツの谷啓さん逝く - 2010.09.11 Sat

    谷啓さんが9月11日、亡くなりました。
    新橋での講演の帰り、電車の中で、知りました。

    1950年代末から、『おとなの漫画』(フジテレビ)、『シャボン玉ホリデー』(日本テレビ)などのテレビで人気を博したハナ肇とクレージーキャッツ。その中でも、谷さんは、愛嬌のある丸顔、短躯ながら、ちょぴりバタ臭く、とぼけた味にたまらないものがありました。


    下ネタのないギャグ。米軍キャンプでの仕事を振り出しにしたセンス、クレージーキャッツは民主主義の時代の、それはすてきなボードビルでした。

    青年期を過ぎて、クレージーキャッツにまた親しんだのは、ずっと後のことです。1980年代、90年代、中東や欧州の特派員だったころ、東京から、クレージーのカセットやCDを取り寄せ、レンタカーで取材して回ったパレスチナで、エジプトのデザートロードで、またドイツのアウトバーンを時速150キロ以上でとばしながら、一緒に歌ったものでした。

    1960年代の日本社会の青天井がなつかしかったのです。

    快晴
    快晴 
    Σ64
    ウィキペディア


    最近では、NHKの「美の壺」がたまらなく好きでした。粋に和服を着こなした谷さん。とぼけた味はさらに枯淡の境地に達していました。後任のスーパーダンディ草刈正雄さんも、この番組では枯れた味を出してきましたが、谷さん時代の最末期の、危ういほど枯れとぼけた味は得難いものでした。

    あんな老人になれたらいいなと思ったものです。「あなたにはムリ!」といわれるのはわかっているのですが。

    その谷さんは、ハナ肇さん、植木等さんの後を追いました。
    行年78歳。 合掌です。



    自然畏るべし(2) - 2010.09.10 Fri

    新しくて、そして古い恐怖が私たちに迫っています。結核が静かに広がりつつあり、最近では、抗生物質多剤耐性をもつアシネトバクター大腸菌の院内感染のニュースが伝えられます。人類が感染症を克服したと思った20世紀から、人類はまた感染症におびえる時代を迎えなければならないのでしょうか?

    HIVウイルス模式図  
    HIVウイルス模式図
    ©National Institutes of Health, USA


    野口英世北里柴三郎ジェンナーコッホらは感染症と戦った偉大な医学者です。本の好きな子供だった私は「偉人の伝記」に熱中したものでした。私のお気に入りは豊臣秀吉織田信長などの英雄よりも、彼ら病気と戦った先人たちでした。
     
    私の母は幼いときにかかったポリオのため、終生右足が不自由でした。子供時代、公園などで、おかあさんとかけっこして遊べる同年代の子がうらやましくてしかたがなかったものです。母の不幸はもちろん、私が感じる程度ではありません。ですから、母の一生を大きく左右した「病気」に、私はひと一倍強い憎しみと恐怖を持っていました。
     
    医学の世界の偉人の伝記に熱中したのは、そのためだったのでしょう。また、小学校の3、4年のころには、父の書斎にあった戦前の百科事典から、病気について、いっぱし読みかじっていました。私の家系は医者の家系です。でも、私は医者にはなりませんでした。理由は単純。数学が不得意だったからです。
     
    幸い私たち団塊の世代が成長するにつれて、かつての日本の若者をおびやかした結核は克服され、チフスコレラ赤痢などは次第に跡を絶ち、天然痘ウイルスにいたっては、米国とロシアそれぞれ一カ所の研究所にしか存在しないといわれるようになりました。
     
    これは世界の医学者たちの英雄的な努力の成果であり、豊かさが栄養状態や生活環境を改善させたことによるものです。日本の右肩上がりの時代は、健康の面でも驚異的な右肩上がりでした。「薬さえあれば、抗生物質さえあれば、恐いものはない」と素人は思いました。
     
    しかし、1980年代に入って、日本にもエイが上陸します。狂牛病鳥インフルエンザなど、これまで未知だった「人獣共通感染症」を克服するいとまさえない間に、こんどは「耐性菌」です。エイズ、デング熱マラリヤなどが日本に入ってくるのは、人やモノの行き来が爆発的に増大したグローバル化の負の側面です。また耐性菌を生んでしまった原因について、専門家は「抗生物質の不注意な使い方」のほか、先進国のメディカル・ツーリズムを挙げます。
     
    浦澤直樹さんの「20世紀少年」では、人間が生み出す病原体によるテロが重要な役割を占めます。人知を過信し、科学や技術を乱用する人間が悪役です。

    ピラニア 
    ピラニア  ©OpenCage


    ペットの外来生物を飼えなくなって、「殺すのがかわいそうだから」と野や川に放す人々。ピラニアなどの熱帯魚が生息するようになった東京の多摩川は「タマゾン川」といわれているそうです。彼らがどんな病原菌を持ち込んできているか、わかりません。「うちのワンちゃんがかわいそう」といって、狂犬病のワクチン接種を受けさせない愛犬家。感染すれば致命的な狂犬病はまだ、世界のあちこちにあります。この「やさしさ」はほんとうのやさしさでしょうか。

    自然を畏れてください。

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    萩谷 順

     はぎたに じゅん

    Author: はぎたに じゅん
    TVコメンテーター
    法政大学法学部教授
    元朝日新聞編集委員
     政治記者、カイロ、ウィーン
     ボン特派員などを歴任
    出演番組
     スーパーJチャンネル(金)
     モーニングバード!(水)
     ワイド!スクランブル(月)
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