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    2012-01

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    中国は脅威か? - 2012.01.26 Thu

    十数年前のことです。私が朝日新聞のボン特派員だったころ、官庁街で旧知のドイツ外交官に会いました。中国屋でもある彼の質問は
    「日本にとって中国は脅威か?」でした。
    そのときの私の答えは、概略、
    「日本は有史以来、中国を侵略的な勢力と見たことはあまりない。13世紀の元寇はモンゴル王朝だった。日本は文字を始めとする文化を中国に負うている。戦前まで、日本の旧エリートは中国文化の影響下で育っているから、中国を武の国としてより、文の国と見ており、日清戦争当時をのぞいて中国を脅威と感じては来なかった。しかし、戦後のアメリカによる民主化の中で育ったこれからのエリートは別だ。アメリカの影響を受けて現実主義的に国際政治を解釈する新しいエリートが台頭するようになれば、日本の中国に対する見方が変わり、中国を脅威として見るようになるだろう」というものでした。

    21世紀に入り、改革開放の中国が経済的に急発展し、東シナ海、南シナ海で自己主張をするようになったいま改めて考えると、当時の私の考えは事態の半分しか見ていなかったという感があります。すなわち、中国の発展というダイナミックな展開を軽視していたのです。仮に日本の中国観が、私の考えた旧エリート的なものにとどまっていたとしても、最近の中国の急発展に伴う強烈な自己主張は、それだけで「脅威」としての現実性を強めていると考えざるをえないようです。

    その外的な現れは中国の軍拡であり、内的な現れは、中国国内で強まっている内圧に起因する膨張指向だと私は考えます。内圧は猛烈な競争社会になったことによるもので、前2回の「2歳女児ひき逃げ、見殺し事件」でふれましたので、きょうは外的な問題について考えてみます。

    1月1日の産経新聞のwebに興味深い記事が掲載されました。「防衛オフレコ放談」というコラムで、「日米安保破棄 公然と語られ始めた危機に処方箋はあるか」という刺激的なタイトルです。要約すると、「日本とりわけ沖縄が中国の弾道ミサイルの射程内に入ることで、米国にとって、日本が前進拠点としての安全性と効果すなわち米国にとっての日本の安全保障、世界戦略上の価値を失いつつある」ということです。「放談」と銘打っていますし、産経新聞も本紙に掲載しないという点での留保はあるのですが、こうした補助線を引いてみると頭の体操にはなります。

    この背景にあるのは、技術の進歩によるグローバル化は、軍事の面では経済や政治以上に進んでいるという現実です。有史以来たとえ中国が地球一の帝国であったときでも、海を隔てていただけで、中国の軍事力は日本にとって脅威ではありませんでした。しかし、第二次世界大戦後、とりわけ冷戦終結後、軍事技術が急速に進歩し、中国にそれを装備できる経済力が備わったことによって、事態は一変しました。中国の意図はともかく、目の前に隠しようもなく、あからさまに存在するようになった強大な軍事力は、それだけで客観的脅威です。これに「防衛オフレコ放談」の補助線を加えてみると、「中国の軍拡が進む中で、仮に日本周辺が戦場になるような事態に立ち至ったとき、アメリカが自国の本土に中国の大陸間弾道弾の雨を浴びることを覚悟してまで、日本やその周辺の友好国を守るか?」という疑問が成り立つことになります。

    この疑問は、1980年代の欧州中距離核ミサイル(INF)問題を想起させます。東西冷戦の最前線国家であった当時の東西両ドイツでのもっとも深刻な問題は、米ソの冷戦が熱戦に進展した場合、米ソが欧州だけを戦場に中距離核ミサイルを撃ちあうだけで戦争が終わるというシナリオでした。相互確証破壊(MAD)を回避して米ソは大陸間弾道弾を撃ちあわず、米ソ双方の本土は保全されるが、欧州とりわけドイツは核の焦土Euroshima(オイロシマ ヨーロッパとヒロシマの合成語)になるという恐怖でした。この結果、ヨーロッパを反核平和運動が席巻したのですが、歴史は幸いにその方向には進みませんでした。米ソは長い交渉の結果、相互に中距離核ミサイルを廃棄しただけでなく、ソ連自体が消滅したため、核の焦土化の前提が消えてしまったからです。

    それでも、ヨーロッパから核兵器は消えていません。北大西洋条約機構(NATO)もロシアも依然として抑止力として核は削減しても、維持しています。「核廃絶をめざす」と述べたオバマ米大統領のプラハ演説も「近い将来、それが実現するとは思わない」との留保がついていました。

    ヨーロッパに比べると、東アジアの安全保障状況はもっと原始的です。中国は自国の核は「自衛目的」であり、先制不使用と、非核兵器保有国に核兵器を使用しないこと、核兵器による威嚇を行わないことを約束していますが、その一方で中国は核兵器の近代化を進めており、東アジアには具体的な核軍縮交渉の枠組みは存在しません。

    1月25日付の朝日新聞朝刊3面の「中国軍解剖」シリーズ「南シナ海聖域化せよ」は現実に進行している中国の軍拡を赤裸々に描いています。21世紀のいま、熱戦が近い将来に起きると考えるのは非現実的かもしれませんが、軍事が外交や権益拡大の裏打ちになるという現実には変わりはありません。米欧日が経済危機に瀕し、基礎体力を失いつつあるいま、中国をどう見るか、そして日本がアジア太平洋地域で安全と平和そして私たちの基本的価値をどう守っていくかという大戦略を考える必要は日増しに大きくなっていきます。
     
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    王悦ちゃん見殺し事件 中国的競争社会 - 2012.01.09 Mon

    多くの人が「人助けをすると、損をする」と考え、「自分の子どもさえ守ればよい」と、わが子を守れなかった王悦ちゃんの両親を暗に非難さえしました。とはいえ、彼らも「人助けをしない自分」にやましさを感じているのは明らかでした。いったいどうしてこんなことになったのでしょうか? 

    早朝から、深夜まで中国の南半分を飛行機や高速鉄道を使って神風取材をしながら私は考え込みました。そのヒントを得たのは昨年7月の高速鉄道衝突脱線事故のその後を取材に行った浙江省温州で、でした。高速鉄道事故のその後は、1月6日にやはりテレビ朝日「スーパーJチャンネル」で放送しました。

    鉄道 


    いま温州の事故現場には何も起きなかったかのごとくです。慰霊碑が建てられたわけでもありません。むしろ「なかったこと」のようにさえ思える現状です。中国政府は年末に事項調査報告書をまとめましたが、原因究明は日本人の感覚からいえば、不十分です。高速鉄道に乗ってみると、中国人乗客は何もなかったかのように乗っています。温州は日本人にも温州みかんの名で知られる古くからの商業都市です。主要な輸出品は靴類、衣類、めがね、家具、革製品とか。たしかに驚くほどたくさんの靴製造会社がありました。しかし、目を奪ったのは温州の空港から市内へ向かう幹線道路を走っているときに見た光景です。信じがたいほどの数の工事現場。北京、上海の建設ラッシュのころは、それでも、すでに完成した都市構造、手付かずの広い地域がありましたが、温州では町の大部分が土木工事現場のようなすさまじさです。そのほとんどが高層マンションです。そして、すでに完成したと見られるもののほとんどがまだ空き家なのです。果たしてこれらのマンションが未入居のままになったら? それは中国の建設バブル、住宅バブルの崩壊です。中国人の成長の夢が崩壊するだけでなく、世界経済にも巨大な負担を負わせることにもなるでしょう。それでも、中国は突っ走るのです。

    建設現場 


    私が今回見た仏山、温州という地方都市は中国の行政単位としては「地級市」に分類されます。22の省、5つの自治区、4つの直轄市という最上層の行政区画と県、県級市という第三層に分類される行政区画の間に位づけられる地方都市です。地方都市といっても人口は数百万人あります。改革開放と経済膨張はいまや、上海や広州という超大都市だけでなく、「地級市」と呼ばれる地方都市に広がっているのです。それを示すなによりの証拠が高速鉄道網です。高速鉄道は北京、上海、広州といった超大都市を結ぶのに加え、省都級の都市、さらには地級市を結ぶ役割を果たしています。ジャーナリストの莫邦富さんのブログが書いているように、いまや経済発展はこうした地級市が主戦場となっているのです。ここでのヒト、モノ、カネの流れをスムーズかつスピードアップしなければ、13億人の中国人に先に豊かになった人の豊かさを押し広げるという小平のフィクションが崩壊し、経済成長そのものが挫折してしまいます。「成長を続け、それを地域的、階層的に拡大する」ことが中国共産党の支配の正当性となった以上、もうどうにもとまりません。仏山の巨大な問屋街、温州の建設ラッシュは、後ろを振り返らずに競争に勝ち抜いてとにかく前進するしかない中国経済の象徴でした。

    chizu  

    一方、これを中国人ひとりひとりから見るとどういうことなのでしょうか。キーワードは「競争社会」だと考えます。実は、中国人が本格的な競争社会にさらされたのはほんの最近、つまり改革開放以降なのです。中国5000年の歴史を通じて、王朝支配の時代には、ほんの一握りのエリートには官吏登用試験の科挙など世界有数の厳しい競争がありましたが、庶民はそれには無縁でした。辛亥革命を経て中国共産党支配になっても競争が一部の党周辺のエリートに限られていたのは同じです。いや、それどころか、文化大革命は競争否定のユートピア的平等主義のイデオロギーさえ持っていました。それが、小平によって一転、13億の民がすべて突然すさまじい競争のスタートラインに並ばされたのが改革開放です。

    小平 
    1978年、日本を訪問し、東海道新幹線に乗った小平氏
    「後ろから、だれかが鞭を持って、私を駆り立てているみたいだ」といった。


    競争社会は日本でも同じだと考える方もいるでしょう。しかし、現代中国の競争社会は2つの点で日本のそれよりもはるかに過酷です。日本でも、明治維新によって競争社会が始まったのですが、全国民を巻き込む本格的な競争社会が始まったのは敗戦後です。戦前の日本はゆっくりとした競争社会の助走期間とも考えられます。加えて、日本が競争社会に入ったころは経済のグローバル化はいまと比べればゆっくり進んでいました。しかし、中国が競争社会に突入したこの四半世紀というものは、経済発展の速度は比べものにならないほど急速です。まさに「ドッグイヤー」なのです。突然競争に参加しなければならなくなった13億の民。おまけに、豊かさの面でも、社会的地位の面でも、いま浮かび上がらなければ、将来回復が不可能なほどに、社会全体の発展速度が早いのです。スタートラインから我勝ちに走り出しているのです。転ぶものも出てきます。でも、転んだ人にかまっていたら、自分が損をします。自分だけではない。一家眷属、子々孫々までハンディを背負うことになってしまうかもしれないとしたら、なおさら人助けなどに、かかずらってはいられないでしょう。日本で受験競争が熾烈を極めたころの、いわゆる教育ママのメンタリティに近いものがあります。しかし、大きく違うのはその競争のスケールと程度の甚だしさです。「王悦ちゃん見殺し事件」はこうした社会風潮の中で起きました。


     

    人助けをすると損をする 中国社会のひずみ - 2012.01.07 Sat

     年末に中国を訪れました。前回訪れたのは北京オリンピックの以前の2004年ですから、もう8年前です。必ずいわれたのは「中国は1年たったらまったく変貌する。どんどんあなたの知っている中国ではなくなっていきますよ」ということでした。2004年は北京オリンピックと上海APECを控えた再開発ブームの真っ最中。北京では胡同が壊されていくのを惜しみ、上海では、周辺の古い住宅地がすべて取り壊された中にポツンと残された道観(道教のお寺)を訪れ、悲しい思いをしたものです。子どものころから、西遊記や三国志を通じて中国の歴史、文化に親しみ、道教やチベット仏教そして京劇のファンだった私には、東アジアの文化の源泉である中国の(私にとっての)よき面が失われていくのは残念なことでした。

    道観 道観内部 
    上海の白雲観 ポツンと残されていたこの道観はのちに、移築されきれいにされたとのことです。
    しかし、コミュニティとのつながりはどうなったのでしょうか?


    しかし、それは遠く離れ、あまり直接の関わりのない異国人の勝手な感傷です。改革解放以前の貧しかった中国人が、私たちが豊かで安全な生活をめざして努力してきたのと同様に、「坂の上の雲」をめざすことを悲しむのも身勝手というものです。他方、中国が日本を追い越して世界第2の経済大国になったいま、中国の急成長を無条件で祝福し、歓迎できるかというと、そうでもなくなってきた感じがします。年末にテレビ朝日「スーパーJチャンネル」の取材で、北京、上海以外のこれまで足を踏み入れたことのない都市を訪れて、痛切に感じました。

    それは昨年10月13日に起き、世界を驚かせた「2歳女児ひき逃げ見殺し事件」の取材で行った仏山です。車にひかれ、路上に血だらけになって倒れた2歳の女の子・王悦ちゃんを、もう一台の車がひき逃げし、王悦ちゃんのそばを18人もの人が助けもせずに通りすぎた衝撃的なできごとです。事件はyoutubeで世界に広がりました。「なぜこんなことがおきたのだろうか?」。日本での反応は大きく二つに別れていたようです。「経済成長のひずみの結果だ」という見方と、中国嫌いの人々の「やっぱり中国人は!」というものでした。後者の中国嫌いの人の反応はあまり真剣に追及する価値はなさそうです。一方、「経済成長のひずみ」とはいったいどういうことなのか? この疑問が中国取材の動機でした。そして。この取材でその疑問に答える糸口のひとつを見つけることができたような気がしました。




    仏山の事件現場は巨大な金属製品の問屋街です。その巨大さはたとえようもありません。仏山の問屋街に比べると、秋葉原の電気街は猫の額のようなものです。広州市の隣にあり、人口1000万人の広州市と連星のような関係にある人口600万人の仏山市は改革開放の中心である広州や深曙Vを商圏にするのみにとどまらず、長江以南の広大な地域の工業を支える問屋街だそうです。問屋街で働く人びとのほとんどは仏山育ちではなく、中国各地からの出稼ぎです。広東省の珠江デルタのまん真ん中なのに、人びとは本来の地元の言葉である広東語ではなく共通語である普通語で会話をします。共通語でないと意思が疎通できないほど地縁血縁が薄いのです。問屋街というと日本人は昔からの人々の濃いつながりを想定しますが、改革開放以後にできた仏山の問屋街にはそうしたミュニティはなく、人のつながりがまったく希薄なのです。でも、人のつながりが希薄になったのは中国だけではありません。それだけでは「助けなかった理由」はわかりません。

    見殺しにした人たちをはじめ、近隣の人々を取材するうちに、だれもがあげる「助けなかった理由」に行き当たりました。ときは2006年。仏山から遠く離れた南京でそれはおきました。停留所でバスからおりるとき、転んで骨折した65歳の女性を助け起こし、病院に連れていった27歳の男性が逆に加害者として訴えられ、中国としては巨額の損害賠償を払わされたという事件です。裁判所の判決の理由は「そんなこと(助けること)は普通しない。助けたのは男性にやましいところがあったからに違いない」という信じがたいものでした。

    急遽南京に飛び、取材してみると、「人助けをした人が逆に訴えられる」という事件が南京だけでなく、中国各地で多発していることがわかりました。仏山で、南京で、王悦ちゃん事件に関わりのない人たちをふくめて「助けたいのはやまやまだけど、そんなことをして自分に災難が降りかかってきてはかなわない」と口をそろえたのはこのためでした。

    地図 
    人助けをした人が逆に訴えられる事件が各地で起きた

    王悦ちゃんの場合は、19人目に通りかかった廃品回収の女性が王悦ちゃんを助け起こし、母親を呼びました。この女性には失われた「人の心」があったのです。しかし、8 日後に亡くなった王悦ちゃんの両親とこの女性にその後起こったのは「この町にいられなくなる」というこれまた信じがたいでできごとでした。地元のテレビが事件を報道すると、ひき逃げをした2台の車の運転手は逮捕され、処罰されました。ところが、両親と助けた女性には、ネットや匿名の電話で「カネ目当てなんだろう」という非難・中傷が殺到したというのです。私たちのスタッフは助けた女性の携帯電話番号を入手し、息子さんの話を聞くことはできましたが、ついに、「人の心を持った」この女性の話を聞くことはできませんでした。

    取材をした多くの人が「人助けをすると、損をする」と考えるばかりか、「自分の子どもさえ守ればよい」と、我が子を守れなかった王悦ちゃんの両親を暗に非難するのでした。(つづく)




    清明上河図 中国文化外交の威力 - 2012.01.05 Thu

     東京国立博物館の特別展「北京故宮博物院200選」を見てきました。初めて国外で展示された「清明上河図」(張択端)を見るためです。「清明上河図」は、北宋の都・開封(かいほう)=現在の河南省開封市=の光景を描いたもので、北京故宮博物館随一の「神品」といわれる大作です。詳しくは www.kokyu200.jp/をごらんください。

    2008年の北京オリンピックで北京の町が様変わりする前に故宮博物院とりわけ「清明上河図」を見ておきたいと思い、3回北京に行き、故宮博物院をなめるように見たのですが、これまで「清明上河図」には対面できませんでした。北京でもたまにしか展示されないものですから、私ごときの都合に合わせてくれるわけもありません。半ばあきらめていました。ところが、「北京故宮博物院200選」の開催直前に出品が決まったとかで、「これは行かないわけにはいかない」と思い、足を運びました。

    故宮 

    このような「清明上河図」ですから、この作品だけの観覧待ちの長蛇の行列ができています。最後尾に並んだ昼過ぎには「待ち時間210分」のプラカードが。日頃、レストランであれ、何であれ行列がきらいな私ですが、「清明上河図」だけは腰が痛くなるのもなんのその、まったく苦に思わず、素直に待ちました。幸い実際に待ったのは70分程度。こうした展覧会に多い高齢の方々もたいへん行儀よくお待ちでした。

    いよいよ長さ6~7メートルの大作の前に来ると、ガードマンが「立ち止まらないでください」と声をからします。ですから、落ち着いて鑑賞とはいきません。でも、見られるだけでもありがたいと、いつになく私も謙虚です。図録などで見てはいたのですが、殷賑を極めた開封の町が細密に描かれたさまは、ただただ感動するのみです。70分待ちもむだではありませんでした。

    12巻のうち、2巻が出品された「康煕帝南巡図」は彩色もまだ鮮やかです。12月に取材に行った南京が描かれています。テレビ朝日「スーパーJチャンネル」で12月23日にオンエアした「2歳女児ひき逃げ見殺し事件」の中で私が立ちレポをした「水西門」界隈もありますので、ひときわ興味深いものでした。そのほかもいずれも名品です。なかでも刺繍は目を奪います。「刺繍三羊開泰図」の色彩と細密さは圧巻です。乾隆帝の装束「孔雀翎地真珠珊瑚雲龍文刺繡」はその豪華さ。上海に行ったときに手に入れた蘇州の上等な刺繍(↓)でおなじみではありましたが、本物のすごさはまた別格です。

    刺繍2 
    現代の蘇州刺繍による帝衣

    私たち日本人にとって、中国の文化は長くあこがれの的でした。延々長蛇の列をものともしない高齢者の方たちも、こうした日本の伝統の中で生きてきた人々ですから、すなおに感動していたと思います。神品の「清明上河図」の出品が急遽決まったということが主催者のセールストークでなく、事実だとしたら、最近顕著になった中国包囲網を意識した中国の「パンダ外交」ならぬ「清明上河図外交」か?と勘ぐらせるところがありますが、いずれにせよ、日中国交回復40年という節目に芸術・文化という中国のもっともすばらしい面を見せてくれていることはまちがいありません。尖閣諸島や南シナ海をしばし忘れさせることができるとは、芸術外交の威力は大したものです。

    国立博物館の展示のしかたも上質でした。でも、ひとつだけ混乱がみられました。「清明上河図」が展示されている部屋では、長時間待って絵を間近で見る人の列と、前の展示室から次の展示室に移動する人の列が並行して設けられています。たしかに、「清明上河図」の前に巨大な渋滞ができるのを避けるためにはよい方法ですが、2つのルートの動線が何か所かで交差しています。このため、同じ部屋の中の「清明上河図」から離れた通路を通って、階段ホールまで行って長い列の後ろに並ぶというシステムがわかりにくく、鑑賞客が戸惑っていました。たまに、この混乱を利用し、ズルをして紛れ込もうとする不届き者もいてスタッフがてんてこ舞いなのがかわいそうでした。主催者にはもう少しアタマを使ってもらいたいと思いました。




    後ろ向きの一日 レコードを洗う - 2012.01.02 Mon

     新年2日目は穏やかな日でした。二階の窓からは富士山が見えます。元日のマリス・ヤンソンス+ウィーン・フィルのニューイヤーコンサートの余韻で、いささか追憶の一日を過ごしました。

    マリス・ヤンソンスはアルヴィド・ヤンソンスの息子です。父アルヴィドはラトヴィア人の指揮者で(昨日、マリスをロシア人と書いたのは誤りです)、1960年代によく来日し、東京交響楽団などを指揮したのをテレビでよく見ていました。息子マリスはいまやスター指揮者で、CDなどではおなじみですが、1990年代のはじめに朝日新聞の特派員として駐在したウィーンの思い出とアルヴィドの思い出があいまってノスタルジアをかき立てられたのです。

    Arvid 
    父アルヴィド・ヤンソンスのレコード

    ニューイヤーコンサートの演目だったツィーラーの「ウィーンの市民(Wiener Bürger)から、この曲が入っているハンス・クナッパーツブッシュのレコードを聞きたくなりました。「ウィーンの休日」という1975年の日本のロンドン盤です。このレコードにはクナッパーツブッシュの秀品といわれるカレル・コムザークの「バーデン娘(Badner Mädln)」が入っています。「バーデン娘」は1960年代はじめごろ、フジテレビが放送していた午後の映画劇場のテーマに使われた曲ですから、このyoutubeを聴いてみれば、覚えている方もいるでしょう(ただし、高年者のみ)。
    www.youtube.com/watch

    クナ 
    クナッパーツブッシュの「ウィーンの休日」
    日本ロンドン GT9036

    何十回と聴いて、レコードはほこりだらけです。最近仕入れたVPIのレコードクリーナーでクリーニング。そうそう、もうひとつ、1980年代のはじめにドイツ・ケルンにいたころ予備として購入していたドイツTELDECのレコードも洗います。洗浄液にイソプロピルアルコールを使うので、冬の閉めきった部屋で使うと頭が痛くなってきますから、2枚が限度です。この種のレコードクリーナーにも思い出があります。20代のころ住んだ長野市に、「トーチク・ミジック」というよいレコード屋さんがありました。音楽好きの店員さん2人と仲良くなってよく通いました。7~8年前に残念ながらこのお店はつぶれてしまいました。このお店が当時この種のレコードクリーナーを備えていたのです。VPIと違ってたぶんKeith Monksというもっと値の張るものでしたが、この効果は抜群でした。老い先も短いことだし、せめてレコードを気持ちよく聞きたいとVPIのクリーナーを入手しました。VPIのクリーナーも値が張りますが、並行輸入品は正規輸入品の半額でした。

    VPI 
    VPI HW-16.5

    効果は抜群です。すり減った日本ロンドン盤は多少厳しい。でも、あまり聴いていなかった独TELDEC盤は新品同様になりました。使っている装置は前にも書きましたが、35年前のプレーヤーとTANNOYのスピーカーです。ひとつ変わったのは、アンプ。35年前のaccuphaseがさすがにあやしくなったので、日本のTriodeという新進メーカーの三極管A級アンプTRV-A300SERに交換しました。このシステムが醸しだす音は、まさに古き良きウィーンの雰囲気です。

    Liliput 
    プラーターのリリパット鉄道

    子ども時代から想像していたウィーン。現実に住むこともできました。ユーゴ内戦、北朝鮮の核疑惑と仕事は忙しかった中、たまの休日に幼い3人の子と通ったプラーターの公園と遊園地。映画「第三の男」の大観覧車はもちろん、ニューイヤーコンサートにも出てきた全長3キロもあるミニ鉄道リリパットは子どもたちのお気に入りでした。中には「白鳥の騎士」というアトラクションもありました。全長30メートルぐらい、幅1メートルぐらいの楕円形の水路を長さ1メートルぐらいの木造の粗末な白鳥のかたちをしたボートが人に引かれて回るだけの単純このうえないものですが、当時5歳だった次男がお気に入りで、毎回それに乗っていたものです。そんな20年前の思い出にひたって、お化粧を直した「バーデン娘」を堪能しました。レコードのタイトルも「ウィーンの休日」ですから。

    バーデン娘 
    クナッパーツブッシュとウィーン・フィル
    独TELDEC 6.41767AH

    一方、便利な世の中になったものです。カレル・コムザークとはどんな音楽家だったのか、wikipediaをひけばすぐにわかります。クナッパーツブッシュについてもです。昔は、レコードジャケットの裏面解説だけが頼り。でも、輸入盤の裏面解説を理解したくて、高校時代に一生懸命ドイツ語を勉強した甲斐がありました。レコードから聴こえる音に現実を忘れることもできましたし、レコードジャケットの裏面解説とあわせて想像を飛躍させることができたのも、文字と音だけだったテレビ時代以前の世代の特権だったような気がします。

    そんなこんなで、日が落ちていこうとしています。さて、今夜は原稿書きで「書き初め」です。



    明けましておめとうございます - 2012.01.01 Sun

     明けましておめでとうございます。

    みなさまは、どのような新年を迎えられたでしょうか?

    私の年越しは、地味でした。
    大晦日には、テレビ東京の年末恒例の番組「年忘れ にっぽんの歌」(www.tv-tokyo.co.jp/toshiwasure/)の生中継を見に行きました。スタッフに知り合いがいたので、入場券をいただいたのです。これで、二度目ですが、一緒に行った長男の「年末の各局の音楽番組の中で、出場歌手の平均歌唱力の一番高い番組」という評価が納得いく内容でした。テレビでは、音声がミキシングされて聴きやすくなっていますが、会場のPAから聴こえるのは「素材」の音声です。名人上手の大御所の声が聴き取れないということもあるのです。つまり大御所も年のせいか、声があまり出なくなっているのですね。番組では音を調整してくれますから、聴き取れるのですが。でも、それはそれでお互い過ごしてきた年月のせいということですなおに受け入れられました。

    私の席のすぐ後ろには、熱烈な畠山みどりファンが。畠山さんがステージに姿を現すと「みどりチャーン!」「みどりチャーン!」と大声で声援をおくります。これも、大変微笑ましく、4時間半、83曲をたっぷり楽しみました。八代亜紀は見事。香田晋は達者。大川栄策は地味に上手でした。裕次郎のナンバーをカバーした歌手がほんものより歌が上手なのもご愛嬌でした。

    明けて元日は、墓参りに行く途中の車の中で、午後2時過ぎの地震を経験しました。もういい加減にしてほしいとどななたも思われたでしょう。私もです。墓参のあとは三軒茶屋をブラブラ。でも、初めての買い物はドン・キホーテで犬の餌、そしてユニクロで初買いと極めて地味な消費生活スタートです。帰宅してウィーン・フィルのニューイヤーコンサートの衛星中継。ロシア人指揮者のマリス・ヤンソンスは、チャイコフスキーを合間に入れて気分転換をはかる新機軸でしたが、とても感じのよいできでした。

    地震を除けば、まずは穏やかな年明けです。

    東日本大震災と原発自己の被災者の方々、そしてみなさまにとって、ことしがよい年になるよう願いつつことしのスタートです。


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    萩谷 順

     はぎたに じゅん

    Author: はぎたに じゅん
    TVコメンテーター
    法政大学法学部教授
    元朝日新聞編集委員
     政治記者、カイロ、ウィーン
     ボン特派員などを歴任
    出演番組
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