topimage

    2011-04

    スポンサーサイト - --.--.-- --

    上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
    新しい記事を書く事で広告が消せます。

    文科省のボランティア奨励は? 大震災と大学教育 - 2011.04.20 Wed

    法政大学の私のゼミ(2、3年生)の新年度キックオフが19日、市ヶ谷キャンパスで行われました。仙台の実家で大震災を経験し、「いまここにいるのがふしぎなくらい」という女子学生、すでに被災地でボランティア活動をしてきた学生をふくめ、みんな元気な顔をそろえてくれました。それぞれにマージナルな体験をした若者たちが、それを原動力に学んでいってくれると期待しています。ロートル教師がそれに追いつけるでしょうか?

    ●ボランティアが理解するもの

    ボランティア 

    ボランティアに行った学生からは、「ボランティアたちと各被災地域や自衛隊の連携が取りにくい」「地域の状況を総合的な把握する現地センターを震災直後に設置すべきだった」という意見が出ました。停滞、衰退気味とはいえ、豊かな社会に育った若者たちが同胞の苦難を少しでも軽くしようと自発的に行動するボランティア。彼らはこれまでに経験したことのない、人生のそして社会の巨大な断層を目の当たりにしたことで、社会の構造や人の心を私のような団塊の世代ができなかったやり方で理解していくと思います。

    ●文科省がボランティア奨励を大学に要請

    こうした中で、「文部科学省は全国の国公私立大学に対し、学生が東日本大震災の被災者支援ボランティアに参加した場合、その活動を大学の単位として認めるよう要請する方針を固めた」(3月31日付朝日新聞)そうです。「各大学に、ボランティア活動を単位認定すること▽ボランティア活動のため休学する学生について、その間の授業料を免除すること▽保険に加入してケガなどに備えるよう学生に周知徹底することを求める文書を出す」というのが具体的な方法とされています。しかし、私のゼミの学生の懸念通り、各地から支援に集まってきた人たちに仕事を割り振るボランティアセンター機能が整備されていないため、「募集がかかるまでは現地に行かなくてもできる支援活動を」と、被災地入りを自粛するよう学生に呼びかける大学もあったようです。

    文部省 
    文部科学省

    ●ある大学教授の懸念

    そうした中で、文科省の方針はボランティアを後押しする大変よい方策のように見えますが、私は果たしてそうなのかといささか疑いを持っていました。そんなときあるブログに出会いました。ある大学教授のブログです。

    (以下引用)
    それを聞いて、私は「学徒動員(勤労動員 筆者註)」を連想した。戦争中、女学校に通っていた母が、よく戦争で授業がなくなり、毎日工場で働いていたと話していたのを思い出したのだ。当時は、「お国のため」と思い、頑張っていたというが、今になって若い時に勉強ができなかったことを嘆いているのだ。
    若いひとが被災地に行って復興の手伝いをするのはいいことだ。確かに大学では得られない学習体験をするだろう。だが、それを単位として認めるかどうかなどは大学や教員にまかせるべきではないか?
    被災地では失業した人も多いわけで、復興事業に従事する人を雇い入れて給与を支払うシステムを国は急ぐべきではないか?
    ボランティアに行くのが当たり前で、不安にさいなまれて逃げ出す人は非国民のような目で見られかねない風潮はおかしいと思うのだが。

    (引用終わり)

    大学教育がさらに圧迫されるおそれ

    就活 
    大学教育を圧迫する就活

    大学教育は3年生から始まる就活によって、ただでさえ大幅にその機能を制約されています。受験から解放された学生は大学に入学すると、まず自由を謳歌します。「自由」と「就活」に挟まれて、さらには超就職氷河期のため、大学生らしい勉強をする時間はますます短くなっています。大学の勉強は学期、学年という縦の時間軸によって組まれています。そこに、一定期間を横に占有するボランティア期間が入りこめば、どうなるでしょうか。今回の救援活動はこれまでになく長期間にわたるでしょうから、なおさらです。

    ●人が学ぶべきもの

    「どうせ、学生は勉強なんかしない」という考えを私はとりません。ゼミのこれまでの学生を見れば、彼らがそれぞれに縦の時間軸の中ですばらしく成長していくのを私は実感してきました。「ボランティアでは、大学の勉強で得られないものがえられる」という方もおられるでしょう。たしかにそれは事実ですが、人生は「無私」の行動だけではありません。社会と協調しつつ「私利」を追求する道を学ぶことも、大人の入り口では極めて重要なことだと私は思います。

    ●「下放世代」「革命世代」の悲哀

    毛沢東 

    先の大学教授は、「学徒動員(勤労動員)世代」を例に引きましたが、私は中国の文化革命当時の「下放世代」を思い浮かべました。毛沢東の権力闘争の中で、都市の学生層は学問を捨てて農村での労働に従事しました。事実は、毛沢東に反旗をひるがえしかねない知識層とその予備軍を都会から追いはらい、同時に農村のたりない労働力をおぎなう徴農制度でしたが、彼らは赤いフロンティアともてはやされました。しかし、それから40年たったいま、彼らの多くは農村にも都市にもよりどころを失った世代になってしまいました。日本でも学園紛争の時代の学生ストによって、学ぶ機会を失ったことを悔やむ人が少なくありません。その時期にえがたい勉強のできた人もいる一方で、きわめて少数ですが”資本家に奉仕するための大学教育”を捨てて農村や地方、あるいは復帰前の沖縄へ「革命」をしに行った学生もいました。先日のブログで書いた「将来、遺伝子解析が進めば、貧困や差別も解決できるかも」と夢見た理系の友人もその1人でした。いま、かつての学友たちはその学生の消息を知りません。

    ●大学に、教員に任せよ

    辻元 菅直人  

    もちろん、震災ボランティア活動が学業に与えるマイナス面は、国家による強制だった「学徒動員」「下放」とは比べものにならないほど小さいものです。また、すべての大学生が震災ボランティアに出るわけでもありません。そして、日本の現状では、ボランティアの活動は極めて重要です。さらに、ボランティアの「社会への貢献」「自ら得るもの」はかけがえのないものです。その一方で、大学での勉強もかけがえのないものなのです。文科省はこれまで、「授業時間の確保」を大学に強く求めていました。もし、官僚を動かす政治家に、大学に通知を出すだけで安直に若者を動員しようという発想があるとしたら、それはいかがなものでしょう? 学生本人たちが「授業を受けないというリスク」をしっかり自分で主体的に判断したうえで、学校を休んでボランティアに行くのなら、文科省のお墨付きがなくても、大学と教員はその学生に対して正当な評価を与えると思うのですが。


     
    スポンサーサイト

    NEW ENTRY «  | BLOG TOP |  » OLD ENTRY

    おすすめブログに

    萩谷 順

     はぎたに じゅん

    Author: はぎたに じゅん
    TVコメンテーター
    法政大学法学部教授
    元朝日新聞編集委員
     政治記者、カイロ、ウィーン
     ボン特派員などを歴任
    出演番組
     スーパーJチャンネル(金)
     モーニングバード!(水)
     ワイド!スクランブル(月)
     ビートたけしのTVタックル
       (不定期)
    過去の出演番組
     そうだったのか!学べるニュース
     やじうまプラス'04-'10
    ニュースステーション '00-'04
     ニュースレーダー '85-'87
     (いずれもテレビ朝日)

    お問い合わせや講演の依頼は...

    名前:
    メール:
    件名:
    本文:

    本人から返信します(お名前やメールアドレスなど個人情報は本人の同意なしには公開しません)

    いま何時?

    ※この時計の時刻は、閲覧しているパソコンのものであり、必ずしも正確な時間とは限りません

    Twitter

    最新記事

    カテゴリ

    大震災+原発事故 (38)
    政治経済 (71)
    国際情勢・グローバル化 (21)
    社会・生活・文化 (22)
    大学・教育・若者 (4)
    テレビ (4)
    講演 (2)
    IT・パソコン (2)
    たのしみ (28)
    ごあいさつ その他 (8)

    リンク

    このブログをリンクに追加する

    朝日新聞グループニュース

    月別アーカイブ

    RSSリンクの表示

    検索フォーム

    最新トラックバック

    FC2カウンター

    上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。