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    2011-02

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    everything is writtenか? 映画「127時間」 - 2011.02.26 Sat

    6月に公開される映画「127時間」の試写会に行きました。2008年に8部門のアカデミー賞に輝いた「スラムドッグ ミリオネア」のダニー・ボイル監督の最新作です。2月28日(日本時間)に発表される今年のアカデミー賞で「127時間」は作品賞など6部門にノミネートされています。

    ●実話の迫真力

    aron 
    アーロン・ラルストン(28歳当時)

    「127時間」は実話です。2003年4月、当時28歳だったアメリカ人青年アーロン・ラルストンはユタ州ブルージョン渓谷でハイキング中に細い岩場の割れ目に転落し、同時に落ちてきた岩と岩壁の間に右腕を挟まれてしまいます。アーロンは右腕を抜こうと努力しますが、岩はまったく動きません。ボトル1本400mlの水とわずかの食料で死を待つしかない中で、彼は最後の記録をデジカメとビデオカメラに収め、岩壁に名前と生没の日付けを刻みます。いよいよ水も尽き、脱水症状でもうろうとする中で、アーロンは自らを窮地から解放することに成功します。その間127時間のドラマです。

     ●極めて抽象的なモノドラマのよさ

    「断崖に右腕を挟まれた若き登山家。そして彼は”決断”した」。案内状のメッセージにはあまり期待していなかったのですが、延々と続くモノローグドラマに次第に引き込まれていきました。最後のクライマックスでは、隣の女性はハンカチで涙をぬぐっていました。おそらく、私の感動は彼女とは違うところにあったのでしょう。酷薄な自然の中でのちっぽけな人間1人。状況自体は単純明快な物理的な危機ですが、極めて抽象的なモノドラマです。解釈を強制する約束ごとが少ないため、人はそれぞれのやり方で解釈できます。

    現場
    映画の中での”遭難現場"

    ●アーロンの心境


    私に訴えかけたのは、アーロンがいよいよあきらめかけたときの心境です。自由を愛するアーロンは自分の人生の身勝手さに思いをめぐらせます。遠く離れた母親がかけてきた電話。留守電のスピーカーでそれと知りながらも電話に出ない息子です。ブルージョン渓谷に行くときにも、だれにも行く先を告げていません。友人が捜索願いを出しても、捜索が始まるときには自分は死んでいる。

    ●決定論を乗り越えたアーロン

    大自然の落とし穴に落ち、そこから脱出するすべがないと悟ったアーロンは「すべてが自分が招いた結果」と思います。そして、「生まれるずっと前から決められていたこと」と考えます。
    everything is written(すべては前もって定められている)。一種の決定論、運命論です。everything is writtenは私の好きな映画「アラビアのロレンス」に出てくることばです。死のネフド砂漠を越えてトルコ軍のアカバ基地を攻撃しようとするロレンスに対して、ベドゥインのリーダーは失敗を予測してeverything is writtenといいます。「神の意思で定められている」という意味です。そして、奇跡を実現したとき、ロレンスはnothing is writtenと言い放つのです。「127時間」の場合は、アーロンが生還したこと自体がアーロンの「決定論」への否定です。

    ●窮地からの脱出の道はコードから解放されること

    andes 
    ウルグアイ空軍機の墜落現場

    では、どのようにしてアーロンは生還できたのでしょうか? 公開前の映画のネタばらしはルール違反ですからいたしませんが、アーロンが生命と社会、すなわち人間の約束ごと(コード)から自らを解放した行為がカギです。「絶体絶命という状況」と「生存」の二律背反をどう解決するかの道をアーロンは見つけ出したのです。このとき、私は「アンデスの奇跡」を思い浮かべました。1972年、ウルグアイ空軍機がアンデス山中に墜落しました。乗員乗客45人は絶望視されましたが、72日後になって16人が奇跡の生還を遂げます。彼らは死者の肉を食べて生き延びたのでした。「人間は人間の肉を食べてはならない」。これは人間にとってもっとも根源的なコードです。彼らはそれを破りました。カトリック教徒だった彼らは、死者の肉を「聖餐」と解釈することによってコード破りを乗り越えました。「127時間」と「アンデスの奇跡」は「神に近い存在=大自然」によって与えられてしまった絶体絶命と生存の二律背反というところで似かよっているのです。

    ●社会の割れ目に落ちた人々への寓意

    「127時間」を見終わったとき、私はアーロンの生還を喜ぶより、もっと重い課題を背負わされていると感じました。私は社会の割れ目に落ちてしまい、固定されてしまったと思っている多くの人々とりわけ若者たちを想起しました。人生の落伍者、落ちこぼれ、引きこもりなど、さまざまなネガティブな命名をされてしまっている人々です。多くの場合、その境遇が「自らまいた種」であることは事実です。でも、それは「そこから脱出できない」と同義語ではありません。脱出の道は、「それはできないとの人それそれの思い込み」から脱出することにあります。自分をがんじがらめにしているコードから自らを解放する。アーロンの決断と実行はそれを示しているのです。

    ●見る苦痛の価値あり

    kippa 
    講演するアーロン

    アーロンは生還後、結婚し、子どもに恵まれました。そしていまなお登山を続けているそうです。遭難前とで変わったのは、山行のとき必ず「行き先」を告げるようになったことです。体験を語る講演はひっぱりだこで、講演料は1回2万5000ドル(約200万円)!。でも、その価値はあるでしょう。映画「127時間」は、見るのに苦痛を感じるシーンもありますが、それを超越したよい映画です。学生たちにはぜひ勧めようと思っています。




     
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    大雪 重い雪 軽い雪 - 2011.02.15 Tue

    夕方から降り始めた雪が夜半には10センチを超える積雪になりました。大雪です。2月に大雪になると、亡くなった母はよく2・26事件の話をしたものです。昭和11年、母の家は東京・牛込にありました。反乱発生後、戒厳司令部から家に警備の小部隊が派遣されました。降る雪の中玄関前に歩哨に立つ兵隊さんと、叉銃。母の祖父はそれより10余年前に暗殺されていました。このときは一族に危険は及ばなかったのですが、まだ16歳だった母には重苦しく、恐ろしい思い出でした。

    226 
    2・26事件発生庁直後の半蔵門付近

    ●重い雪 軽い雪

    戦後生まれ、東京育ちの私にとっては、雪は楽しいものです。いま降っている雪はひとつひとつが大きく、かなりのスピードでぼたぼた落下してきます。いわゆる牡丹雪です。先日山形県のあつみ温泉で、降る雪をながめていたとき、その雪が小さく、ゆっくりと文字通り舞い降りてくるさまに心を奪われました。宿の女性に「ゆっくりと落ちてくるんですねえ」と声をかけると、「気温が低いから、結晶が小さくて、乾いた雪です。ですから、私たちは傘をさしません。ショールをかぶるだけでいいんですよ」という答えがかえってきました。”雪の道を角巻きの影がふたつ「どサ」「ゆサ」” 朝日新聞新人国記青森編で、名文記者の誉れ高い故疋田桂一郎記者が書いた情景を思い浮かべました。この北国の雪と比べると、関東の2月の雪は重く湿っていて、詩情の点ではいま一つです。あす、お日様が出れば溶けてしまいます。子どものころはそれが口惜しかったものです。

    [高画質で再生]

    雪のあつみ温泉(再録)

    ●かみゆきに信州人の詩情を思う

    こうした湿った雪にも詩情がこもることは、20代に勤務した長野で知りました。長野市自体は豪雪地帯ではありません。4年弱いたうちでも、車が動かせなくなったほどの雪はほんのわずかでした。そんな雪の朝、地方版に雪の話を書くために取材している中で「かみゆき」ということばを知りました。北信の人々は、湿った雪が降ると、空を見上げて「おお。かみゆきだやあ」といいます。「かみゆき」は「上雪」、ときには「神雪」とも書きます。本州の南岸を低気圧が発達しながら北上するときの雪です。この春型の湿って重い雪を冬型の乾いた軽い雪と区別して「かみゆき」と呼びます。昔、都のあった京都(上方=かみがた)に近い方から降ってくる雪だからのようです。そういえば、新潟県の上越、中越、下越地方も京都に近い方が「上」です。「かみゆき」は春が遠くないことを知らせる雪。それを文化の流れと重ね合わせたのでしょうか。「かみゆき」ということばのやわらかな響きは昔の信州の人々の素朴な詩情をうかがわせます。

    ●受験生たちよ、無事で

    太平洋岸に住む私たちにとって雪は非日常ですから、いろいろのことを考えるのでしょう。日付けが変わるころ、バイトから帰ってきた三男が「感動した!」と帰ってきて、携帯で撮った写真を見せてくれました。近所の公園の雪の積もった斜面に大きく「おつかれさまです」と書いてあるのです。

    おつかれさま 

    バイトで疲れた身にうれしかったのでしょう。長男は道路から玄関までの雪かきをしてくれました。明日の朝にはどれほど積もっているのでしょうか。でも、いまは大学受験の真っ最中。受験生の足に影響が出ないことを願います。

     

    暴君は去った では未来はバラ色か? - 2011.02.12 Sat

    エジプト市民が立ち上がってから18日目、ムバラク大統領がようやく辞任しました。人口8000万人の大国エジプトの体制転換は約300人の犠牲を伴いながらも、民衆の暴発や軍による流血の弾圧という事態はひとまず避けられました。1952年のナセル、サダトら自由将校団による王制打倒クーデター以来60年続いた権威主義体制には終止符が打たれたのです。それでも、エジプトの近未来は必ずしもバラ色ではなさそうです

    mubarak 
    ムバラク大統領

    ●「革命型」の権力移行

    権力の移行は、国軍最高会議に権限を移譲したうえで、一時的に憲法を停止して超法規的支配のもとで新憲法を制定し、やがて民主的な大統領選挙を行うかたちをとりそうです。その点では、まさに「革命」の手順を踏むことになります。しかし、ここで懸念されるのは、「革命主体=新憲法制定権力」がだれなのかが不明な点です。中東情勢やエジプトに詳しい池内恵・東大准教授は「軍には、単独で軍政を敷くほどの自覚も能力もなく、諸政治勢力を仲介して新たな憲法を書かせるほどの政治力もないだろう」(12日日経電子版)と見ています。

    ●解放か統合か

    革命成就 
    11日、ムバラク辞任に沸くタハリール広場の人々
    (朝日新聞)


    今回エジプト軍は、騒乱の調停者としての役はこなしましたが、民主化に向かう政治過程での役割はあまり期待できないというわけです。ムスリム同胞団を筆頭とする既存野党勢力はドングリの背比べです。今回の「革命主体」は、とりもなおさず「タハリール広場」に集まった市民です。インターネット時代以前でしたら、革命主体は底辺からの
    face to faceの組織化によって形成されます。しかし、タハリール広場に集まった人々の大半はインターネットというチャンネルによって結集された人々です。組織、そして青写真を持たない人々です。「タハリール(解放)」のベクトルは強烈ですが、「統合」のベクトルには疑問符がつきます。

    ●つかみどころのない「革命主体」

    新憲法制定、民主化の過程で、諸政治勢力が「統合」に動くのか、「対立抗争」に走ってしまうのかは予断を許しません。エジプト軍がトルコの軍部のように「クーデター~民政移管」のプロセスに慣熟していないことも不安材料です。野党勢力や軍にとって、タハリール広場に集まった人々が、吹き寄せられる砂嵐の砂のようにつかみどころがないのは極めて深刻です。

    ●エジプトはファラオの末裔

    papirus 

     幸いエジプトはイラクなどのように地域的な分離主義の要素はほとんどありません。また、5000年の歴史を持つエジプトは、さまざまな民族のるつぼですから、人々は「アラブ」意識よりも、「ファラオの子孫たち」という意識を強くもっています。中東在勤時、私はエジプトの人々が「アラブ」を3人称のtheyで呼ぶことに驚きました。エジプトにはエジプトとしての統合の要素が強いのです。

    ●少数派にスケープゴートの危険

    しかし、一方で国内には対立の要素もあります。一つは宗教です。国民のほとんどはイスラム教徒ですが、少数派としてのコプト教徒、そしてユダヤ教徒が存在します。イラン革命以来の中東全体のイスラム化の流れの中で、コプト教徒は次第に居づらくなってきています。私の古い友人のコプト教徒たちもずいぶん海外に移住しました。ムバラク体制の末期、コプト教徒が襲撃される事件が続きました。コプト教徒には資産階級、知識階級も多いので、経済の推移によっては彼らがスケープゴートとされるような社会情勢も生まれかねません。

    ●経済の不振は混乱招く

     obama hamas 

    エジプトの将来を左右する最大の要素は経済です。わずかながら産出する石油は次第に枯渇しています。食料の多くを輸入に頼る一方、観光が主要な収入源のエジプトは、他方で貧富の差の大きな社会を抱えています。政治の混迷が経済の不振を加速すれば、過激なイスラム至上主義がつけ込む余地が生まれます。また、エジプトの主要な同盟国であり保護者であるアメリカの出方にも注意を払う必要があります。今回オバマ大統領は右往左往しました。オバマ政権は、同様な状況だったイラン革命に対する対応を誤ったカーター政権との類似性を指摘されているだけに気がかりです。




     

    親小沢、脱小沢、それぞれの孤独な戦い - 2011.02.11 Fri

    民主党代表である菅直人首相は10日、小沢一郎元代表と首相官邸で会談しました。小沢代表が強制起訴されたことを受けて「裁判決着までの離党」を促したのですが、小沢氏は予測通りこれを拒否し、会談は物別れに終わりました。首相は14日にも小沢氏の党員資格停止処分に踏み切るとみられています(朝日新聞11日朝刊)。

    菅直人2  

    ●菅・小沢会談に世論の反応なし

    小沢氏の「政治とカネ」をめぐる問題では最大のヤマ場です。世の中の反応はあまりありません。「党首のいううことをきかない一兵卒。一兵卒に命令をきかせられない党首」と揶揄するテレビもあれば、朝日新聞の11日朝刊でこのニュースはなんと3面扱い、それも面トップではありません。

    小沢問題に関しては3種類の人々がいます。
    ①小沢氏とその支持者
    ②菅首相はじめ脱小沢勢力
    ③そのどちらでもない国民大衆です。

    もっとも数の多い③の人々にとって、もはやこの問題は決着のついた問題に見えているようです。

    ●小沢氏待ち受ける時間のトンネル

    小沢一郎

    たしかに、小沢氏支持勢力のいうように起訴事実の政治資金規正法違反(虚偽記載)で小沢氏が有罪かどうかはきわめて微妙です。推定無罪が通常の起訴よりも強く働くという主張も完全には否定できません。しかし、それも所詮「蟷螂の斧」です。強制起訴は小沢氏の運命の歯車を、後戻りできないまでに動かしました。裁判上の争点整理を済ませて公判が開始されるのは夏以降とみられています。1審の決着は来年以降、もし、最高裁まで進めばいつまでかかるかわかりません。小沢氏はこの長い時間のトンネルをくぐらざるをえなくなりました。

    ●長いトンネルを抜けるとそこは・・・・・

    トンネルを出るとき、強制起訴の裁判が完全な「シロ」となったとしても、事態はあまり変わらないでしょう。③の人々にとって、小沢氏に対する「政治とカネ」の疑惑は、強制起訴の対象となった争点をはるかに超えた巨大なものになっています。そして疑惑の実体は、裁判を経てもなかったのか、あったのかも明らかにされないままでしょう。一方、時間のトンネルをくぐる間、小沢氏は政治活動の自由を大幅に制限されるだけでなく、その分、年をとります。強制起訴がつくりだした時間のトンネルは、小沢氏に結果としての巨大な「政治責任」を負わせてしまうことになりそうです。

    国会 

    ●時の流れが

    ①の人々がいくら批判、反論しても、③の人々は、この間の経過から、「起訴事実」と「疑惑」を不可分と見てしまっています。政治倫理審査会にせよ、証人喚問にせよ、小沢氏自身が申し開きをしていれば、それを切り離すことはできたかもしれません。しかし、こうした弁明の機会を拒否したのは小沢氏自身です。結果として、②の人々にとって「小沢問題」は時の流れにまかせておけば決着するものになりました。世論があまり反応しなくなったのはこのためでしょう。

    ●小沢処分はアリバイにすぎない

    他方、②の人々の戦いは①の人々同様孤独です。参院選の敗北、マニフェスト総崩れの中で、菅政権はいつまでももつかわかりません。小沢氏自身の命脈が「時間の問題」だとしても、「脱小沢」を掲げて登場した菅政権である以上、不作為のまま小沢氏の影響力の衰弱を待つのでは共倒れです。菅政権にとっては「小沢処分」は「政権の延命」と同義語になってしまいました。しかし、14日に打ち出される「小沢処分」は「不作為ではない」というアリバイ証明以上のものではありません。そこで「除籍」「離党勧告」「党員資格停止」のいずれの処分が出されても、小沢氏支持勢力は強く反発します。彼らには、小沢支持勢力に純化した政権をつくる力こそありませんが、分派行動や国会内での造反によって菅政権を立ち往生させる程度の力はあるのです。しかし、菅政権が処分をここまで引き延ばしてしまっては、処分が菅内閣支持を大幅に回復させる可能性はほとんどないといってよいでしょう。
     


    なつかしい味に三陸・宮古で再会 - 2011.02.07 Mon

    岩手県宮古市を1月下旬に訪れたときに、子どものころ、よく我が家の食卓にのったなつかしい食材に再会しました。というより、以前から探していたものが三陸沿岸の特産であることをつきとめたのが先で、宮古を訪れる機会を得たのが後なのです。それは「メロウド」という魚の干物です。文章で描写するより、まず写真を見てください。

    メロウド 

    ●稚魚はおなじみだが、成魚はなじみ薄のメロウド

    トレイの上の冷凍状態メロウドは1尾約20センチほど。サヨリのようなスマートな姿ですが、実はアブラののった濃厚な味わいの干物です。これはイカナゴで、稚魚は地方により「コウナゴ(小女子)」、「シンコ(新子)」と呼び、成長したものを「メロウド(女郎人)」、「フルセ(古背)」と呼びます。「なあんだ」と思われる方も多いと思います。稚魚はチリメンや佃煮にした「イカナゴのクギ煮」でおなじみです。でも、ここまで成長したものはあまりおなじみではないと思います。

    ●安すぎる美味 地元では引っ張りだこ

    宮古の市街に行って最初に向かったのが佐々由商店。インターネットで「メロウド」の干物を扱っていることを突き止めていたからです。「メロウドの干物はありますか」と尋ねると、年配の女性店員が「メロですか?きょうあるかどうか?ちょっと見てきますね」といって、しばらくして持ってきてくれたのが写真のメロウド君です。春に獲れる魚なのですが、最近では冷凍保存しています。でも、宮古の人にはおなじみの郷土の味。店頭に出すとすぐ売り切れてしまうそうです。それもそのはずです。お値段は1パックなんと230円。稚魚であるコウナゴの市場価格は1キログラム当たり1000円ほどなのに対し、成魚のメロウドは100円以下と、成長するのに伴い価格が下がってしまうため、ほとんどが魚の養殖用の餌として出荷されてしまいます。

    マダラ 
    宮古市の魚菜市場には全長80センチもある旬の真ダラが

    ●少量生産の安い食品は大都市には縁遠く

    宮古では岩手県漁連の会長さんらにもお会いしましたが、「なんで知っているの?」と不思議がられました。昭和30年代。東京・下高井戸駅前のマーケットには、お魚やさんが2軒ありました。いまは老齢化が進んでいますが、当時は食べ盛りの子どもの大勢いる住宅街でした。その食欲を支えるお店はそれはそれは繁盛していました。そのうちの一軒には地方のお魚やさんの跡取りが修行に来ていたものです。後年、朝日新聞長野支局時代に知り合った長野市の大きな魚やさんの若旦那もここで修行したと聞いて驚いたことがあります。

    焼きメロウド 
    水分が抜けるようにトースターで焼き上げたメロウドの干物

    下高井戸ではメロウドは「メロト」という名で扱われていました。亡くなった母がよく買ってきてくれました。私たちは、シシャモよりおいしいと思い、喜んで食べました。宮古で値段を聞いてなるほどと思いました。カギは値段にあったのでしょう。東京生まれ東京育ちの母がメロウドを昔から知っていたわけはありません。「安い」+「子どもが喜ぶ」=家計のやりくり、という方程式です。しかし、いつの間にやら、メロウドは東京では見かけなくなりました。コールドチェーンの発達大量一括仕入れ大量販売のスーパーマーケットが大都市の消費者市場を支配するようになって、少量しか生産されず、利幅の小さな商品は生産地周辺にしか出回らなくなったのです。いわば、冷凍マグロにメロウドははねとばされたのです

    ●マツモは少量生産、高価の故に縁遠く

    宮古ではもう一つなつかしい味に出会いました。それはマツモです。北海道,本州太平洋岸犬吠埼以北でとれる海藻。マツモは大変美味で、 そのまま「生マツモ」として,また乾燥させて「干マツモ」焼マツモ」などに加工され,販売されているのですが、これは収穫期が制限される貴重品になりました。いまや5グラム小分けの乾燥マツモが5袋パックされて840円もします。盛岡駅の物産店では「今シーズン初の生マツモ入荷しました!」と「!」マークつきです。

    マツモ 
    貴重品になったマツモ

    マツモも母がよく買ってきてくれました。焼きマツモをなまり節を焼いてほぐしたものとあえて我が家のお総菜の常連だったのですが、いつのころからか手に入らなくなりました。「メロウド」とは逆に高くなってしまったこともあり、大都市への流通チェーンにのらなくなったのですね。何でも手に入るようになったと思っている大都市住民ですが、「メロウド」や「マツモ」のように大量仕入れ・大量販売から抜け落ちた美味は、やはり産地に行かなくては手に入らなくなりました。しかし、いったん入手先を確認すれば、通販で手に入るのも現代です。これからはときどき「メロウド」を味わうことでしょう。




     

    東北の温泉、あれから50年 - 2011.02.05 Sat

    1月から2月にかけて、仕事で山形県、秋田県、岩手県、宮城県、青森県を訪れる機会がありました。東北地方をこれだけ回ったのは、1963年秋の中学の修学旅行以来です。これを利用して、修学旅行で宿泊した岩手県繋(つなぎ)温泉、青森県浅虫温泉を訪ねました。

    ●山間の温泉地が一大観光資源に

    御所湖 
    全面結氷した御所湖

    繋温泉は盛岡駅からバスで30分ほど。11世紀半ばの前九年の役の時、源義家が愛馬の傷をこの温泉で洗うと快癒したので、義家も愛馬を穴のあいた石に繋いで入浴したと言われ、以来繋温泉と呼ばれるようになったといういわれがあります(岩手県盛岡市つなぎ温泉観光協会HP)。繋温泉には30年ほど前にも、近くの地熱発電をめぐる取材で泊まったことがあります。ところが50年前、いや30年前と比べてもまったくの様変わりです。かつては山間の温泉地でしたが、御所湖という人造湖を前にした広々とした景色になっていました。御所ダムが竣工したのが1981年ですから、私が知らないはずです。いまや国土交通省・水資源機構所管のダム湖の中で年間湖面利用者が第1位という盛岡市の一大観光資源になったと聞きました。

    ●白いお湯だったんだけど?

    善五郎そば 
    お昼の善五郎そば。「もっと高いものでもいいんですよ!」といわれてしまった

    立ち寄ったのは50年前、30年前に泊まった「愛真館」。今回は日帰り入浴です。昼食とタオル付きで1300円ですから極めて良心的です。かつて木造だった旅館はいまや鉄筋コンクリートに。浴場もかつては薄暗い木造白熱電球だったのですが、大きなヒノキの浴槽以外は今風です。白く濁った硫黄泉だったのが、透明なお湯になっています。「白いお湯だったんだけど?」と尋ねても居合わせた従業員の方たちでは、もう知る人もいませんでした。でも、お湯は最高。空から降ってくる風花を眺めながら、たっぷり1時間、ぬるめの露天風呂を楽しみました。

    ●浅虫は「麻を蒸す」ことから

    青森市内積雪 
    青森市内の積雪

    それから2週間後、今度は浅虫温泉です。平安時代に慈覚大師(円仁)により発見された温泉は、布を織る麻を蒸すためだけに使われていました。1190年にこの地を訪れた円光大師(法然)が、傷ついた鹿が湯浴みするのを見て村人に入浴をすすめ、それ以来人々に利用されるようになりました。温泉名も麻を蒸すことに由来し、「麻蒸(あさむし)」が転じて「浅虫」になったといわれています(浅虫温泉HP)。

    ●50年でここも大きく様変わり

    浅虫 
    旅館の部屋から見た陸奥湾に浮かぶ湯の島

    宿泊したのは「海扇閣」。修学旅行のときに泊まった「南部屋」の姉妹旅館ということでした。陸奥湾に浮かぶ湯の島の美しい姿が9階の露天風呂からみえます。エレベーターにはお年寄り用にいすが用意してあったり、部屋には加湿器がおかれていたり、細やかな心遣いがうれしい宿です。翌朝出発の前に女将に聞くと、かつて泊まった木造3階建ての南部屋の敷地に「海扇閣」が建っているそうで、50年前には目の前の海岸沿いの国道4号バイパスはまだなくて、宿の庭からそのまま浜辺に出られたとか。約半世紀の間にここも大きく変わっていました。昨年12月に東北新幹線が新青森まで開通したため、青森はちょっとした観光ブームです。「海扇閣」も例年なら閑散期なのに、3月まで予約がいっぱいだそうです。しかし、青森の人々は「2015年に新幹線が函館まで開通するまでの繁栄」と早くも心配そうでした。

    ●ヒメマスの燻製でかつてをしのぶ

    ヒメマス 
    昔と同じ味かな? ヒメマスの燻製

    修学旅行のときの思い出もいまや夢のよう。松島、中尊寺、小岩井牧場や十和田湖、奥入瀬などを回ったのです。中学生ですから、名所旧跡や温泉よりも、部屋での大騒ぎの方が関心事でした。それでも、お土産にビン入りの小岩井バター十和田湖のヒメマスの燻製を買ったのを思い出して、今回はヒメマスの燻製を買いました。修学旅行にときにヒメマスを買ったのは和井内貞行(魚の住まない十和田湖でヒメマスの養魚に成功した先人)の伝記を読んでいたからだったなあと思い出したからです。ちょっとしたセンチメンタルジャーニーだったのですが、このあいだじゅう、インターネットでアルジャジーラやBBCでエジプト情勢をウォッチしていたのが、いかにも今風でした。




     

    カイロのおばあちゃんと電話がつながった - 2011.02.01 Tue

     100万人デモのうねりが始まったカイロに電話がつながりました。家内が「カイロのおばあちゃん」とやっと話ができました。今度ばかりは長電話OKです。マダム・アミーラはカイロ国際空港と旧市街の間にあるナイル東岸郊外のヘリオポリスに住んでいますが、今回はナイルの西岸にあるモハンデシーンの親戚の家に避難しています。モハンデシーンは数日前にデモ隊と治安警察が衝突した地域ですが、ヘリオポリスより安全と判断したためです。

    破壊 
    破壊されたエジプト考古学博物館の収蔵品

    ●中間層の住宅地も破壊、略奪の対象に

    ヘリオポリスは中間層の多い新興住宅地です。マスコミにはあまり伝えられていませんが、ヘリオポリスも混乱が進んでいるとのことです。マダム・アミーラの友達マダム・シャディアの夫婦が経営するレストランは群衆に破壊、略奪されました。お店にあったATMがねらわれたようです。私たちはマダム・シャディアの家族とも家族ぐるみのつきあいで、息子同士はよい遊び友達でしたから、つらいニュースです。マダム・アミーラは3月1日にカナダで手術を予定しているそうで、無事に出国できることを願うのみです。

    エルバラダイ 
    エルバラダイ氏

    ●エジプトがイスラム国家化すれば世界は不安定に

    今回の民主化闘争がどのように向かうのかはまったくわかりません。開明派のエルバライダイ氏(元国際原子力機関事務局長=ノーベル平和賞受賞者)が前面に出ていること。エジプトの原理主義組織「ムスリム同胞団」が歴史のある比較的穏健な組織であることから楽観的な見方もあるようですが、今後の推移によっては、イスラム革命に進む可能性も完全には否定できません。世界の安全保障の一方の要石だったエジプトが急進的なイスラムに傾いたなら、世界が不安定になる度合いは、オサマ・ビンラディンの比ではありません。イスラエルのネタニヤフ首相から警戒のメッセージが発せられているのは、イスラエルからすれば当然ですし、日本にとっても中長期的には対岸の火事ではすまないでしょう。

    スカーフ 
    スカーフをかぶったイスラムの女性たち

    ●ふつうのイスラム教徒にとっての原理主義

    20年ほど前、カイロに住んでいたころ、マダム・アミーラと話したことが思い出されます。マダム・アミーラはこういいました。
    イスラム原理主義をどう思うの? 原理主義者の主張のほとんどは私たちイスラム教徒の共感できるものなの。もちろん、私たちは暴力には絶対反対するけれど、原理主義者のいうことは私たちのこころの奥にあるもの、ひとの道です」

    マダム・アミーラは、ハッジ(聖地メッカ巡礼)に行ったことがありますが、熱狂的なイスラム教徒ではありません。いつも洋装でスカートをはく開明的な中間層のマダムです。それがあるころから、外出するときにスカーフで髪を覆い始めました。「なぜ?」と尋ねると、「世の中がちょっとそういう風向きになってきたのよ」と答えたものです。マダム・アミーラの夫は故サダト大統領時代にスエズ運河庁の高官でした。長男のアシュラフはアインシャムス大学を卒業、次男のガマールはカイロ大学を卒業し、いずれもアメリカ、カナダで働いています。原理主義運動とは無縁の中間層、西側の友人です。それでも、彼らイスラム教徒にとっては、原理主義は異物ではありません。日本人にとっての「やまと心」よりもっと人々にとって強いものでしょう。

    ●民主化闘争の結末はエジプト市民の心次第

    民主化闘争の推移は、ムバラク政権や軍の出方、ムスリム同胞団など野党勢力の出方、周辺アラブ諸国や国際社会の対応、国内外の過激な原理主義組織の浸透のからまりあった複雑な方程式の解です。そして何よりもエジプト市民の心がどのように動くかにかかっています。





    エジプト民主化闘争 インターネット接続に風穴 - 2011.02.01 Tue

    エジプトの民主化闘争で、野党勢力は2月1日に100万人規模のデモを呼びかけ、ムバラク大統領退陣に向けて圧力を強めています。最大のカギをにぎるエジプト軍は1月31日に、「市民は正当な要求を掲げており、平和的に行動する限り軍は発砲しない」との声明を発表しました。市民蜂起から8日目。最大の山場を迎えました。

    エジプト 
    砂漠の大海に浮かぶエジプトの都市

    ●イラン革命型か天安門事件型か

    国土のほとんどが砂漠で、ヌビアから地中海へ南北に流れる大河ナイル沿いに都市や町がへばりつくエジプト。カイロ首都圏の人口は1600万人ですから、「100万人デモ」というのも決して「白髪三千丈」ではありません。デモには挑発者がつきものですから、軍のいう「平和的な行動」は市民支持のメッセージなのか、秩序撹乱には武力行使をするというメッセージなのかは不明です。エジプト民主化闘争は、軍がシャー放逐に動いた「イラン革命」型に推移するのか、市民を戦車で踏みにじった「天安門事件」型に進んでしまうのか、予断をゆるしません。

    ホメイニ 小平2 
    イラン革命の指導者ホメイニ師     小平氏

    ●遮断されたインターネットに風穴

    こうした中、エジプトの4大インターネット・プロバイダーに続いて、最後まで残っていたnoor.netの接続が遮断され、エジプト市民はインターネットへのアクセスは完全に遮断されました。「言論の自由」を認めないムバラク政権の強硬姿勢に対しては、アメリカや欧州諸国は批判を強めています。これに対し、googleとtwitter電話の音声通話をデジタル信号化してインターネットアクセスを保障するサービス←クリック!)を開始しました。エジプトでは、音声による電話回線遮断までは行われていません。「カイロのおばあちゃん」の消息も、カナダにいる次男のガマールが、必死で電話をかけ続け、無事であることが伝えられていますが、このサービスを使えば、細々ではありますが、インターネットアクセスが可能になります。

    ●ラストワンマイルが混沌状態のエジプト

    かつては繁栄した大国のエジプトの首都カイロやアレクサンドリアには20世紀はじめから電話が導入されました。その後の没落で、回線のメインテナンスがまったく行き届かないため、有線の電話は市内でもつながらなかったり、混線することは私たちもカイロ在住時に経験しました。われわれは普通、電話をかけるとき、まず自分の名前を名乗るのがマナーですが、エジプトでは、かかってきた電話をとると、かけてきた人がいきなり「エンタ・ミーン(あんた、だれ)?」と尋ねる不作法が横行していました。そして間違い電話が多いのですが、それは混線のためです。いいかえると銅線通信ではラスト・ワンマイルが混沌状態だったのです。エジプト市民の経済状態からいうと、家庭まで光ファイバー回線をひくブロードバンドは高価ですし、メインテナンスも大変です。

    ●携帯電話が起こした通信革命は政治運動の革命の引き金に

    そこに革命を起こしたのが携帯電話です。携帯電話は無線基地局さえつくればよいわけで、メインテナンスも有線の通信に比べれば、圧倒的に手間とコストがかからないからです。チュニジアの例でも明らかですが
    強権体制のもとでは、かつての日本の安保闘争のときのように、職場や大学での集会を積み重ねて、大規模な街頭闘争を組織するという手法はとれません。小さな反体制集会の段階で治安当局につぶされてしまうからです。携帯電話は、ラストワンマイルという通信のボトルネックから市民を解放しただけでなく、大衆行動の組織化にも革命をもたらしました。集会やビラがなくても突然、大規模な反政府行動が起きる。国内外に公安の網を張り巡らしている権力者にとっては悪夢のような状態がネット時代では起きうるのです。そして、これは先進国であっても同じだということを忘れてはなりません。

    mubarak 
    ムバラク・エジプト大統領

    ●google、twitterが空けた風穴の効果は?

    人々は携帯電話でインターネットにアクセスし、情報を広めていたのです。日本では電車の中で高校生たちが連絡しあうやり方を、チュニジアやエジプトなどでは反政府運動が利用しています。そうなると、「インターネット遮断」というムバラク政権の強硬手段は、それなりの「合理性」を持っています。しかし、google、twitterの音声通信によるインターネット・アクセス・サービスはそこに風穴を開けました。エジプトの2月1日は、どのように推移するでしょうか?




     

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     はぎたに じゅん

    Author: はぎたに じゅん
    TVコメンテーター
    法政大学法学部教授
    元朝日新聞編集委員
     政治記者、カイロ、ウィーン
     ボン特派員などを歴任
    出演番組
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