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エジプトが心配 - 2011.01.29 Sat
土曜日の朝、我が家ではエジプト情勢がもっぱらの話題です。湾岸戦争前後、家族で赴任していたなつかしいカイロが騒然としています。あのころは小学生だった長男はカタールのテレビ局アルジャジーラのインターネット・ライブ放送にかじりつき、フェイスブックでカイロの友だちとコンタクトしようとしています。一番の心配は、我が家の子どもたちが「カイロのおばあちゃん」と呼ぶマダム・アミーラの安否です。
●「カイロのおばあちゃん」は無事
マダム・アミーラは孫のめんどうを見にカナダに住む次男のカマールのところに長期滞在していたのですが、家内がフェイスブックでガマールに連絡をとったところ。3週間前にカイロに帰ったとのこと。ガマールがきょう電話したところ、騒乱の起きているカイロ西部とは反対側のヘリオポリスは比較的静穏。できるだけ早く出国できるように段取りをとったとのことで、一安心しました。穏やかなエジプト社会の中で、私たち家族はカイロでほんとうに幸せに過ごしました。結婚前に家内がホームステイしたマダム・アミーラの家族は、何かがあるとかけつけて助けてくれましたし、私たちがウィーン駐在のころは、ウィーンに遊びにきてくれました。ボン駐在のときは、長男の結婚式出席のために私たちは家族をあげてカイロに行ったものでした。
カイロの高速道路下に集まる人々
●なつかしい町が騒乱の巷に
アルジャジーラが伝える映像によると、市民と警官隊の衝突の現場は、まさに私たちが住んでいたナイル川の中の島「ザマレク」周辺です。家族で買い物をし、散歩したところがいま世界が注目するホットゾーンになっているのです。アルジャジーラの動画は新聞の写真や情報量の少ない日本のテレビではわからないものを伝えてくれます。ムバラク大統領が辞任を拒否した翌日の29日午前、カイロのタハリール(解放)広場に再び集まったデモ隊には普通の市民が多いように見えます。ムバラク大統領の退陣を求めることでは一致しても、ムバラク後の政権の受け皿は不明です。方向性が見えないためか、デモ隊の一部が暴徒化して、略奪や破壊も始まっているようです。
カイロのタハリール広場
●ムバラク政権への怒りはとまらない
いまアラブ世界を襲っている政治変動の波は巨大です。ベンアリ大統領を追放したチュニジアについては、日本の新聞が書き始めるはるか前、内陸のシディブジッドで市民が立ち上がったころから法政大学の大中一彌准教授がツィッターで報じていました。SNSが裾野を広げた今回のアラブの市民蜂起がエジプトなどに波及することは予測されていたのですが、ムバラク政権がインターネットを遮断したところで、事態を鎮静させることがむずかしい段階に入ってしまったのかもしれません。
エジプトのムバラク大統領
●エジプトは、世界はこれからどうなる
人口8000万人余の大国、歴史的にも文化的にもアラブ世界の中心であるエジプトは冷戦時代もそして冷戦後のイスラム原理主義の高潮の中でも、地域のバランサー、世界の安全保障の一方の要石でした。そのポジションを利用して長期政権を維持してきたムバラク政権は腐敗してしまいましたが、よくも悪くのビンのフタの役割を果たしてきました。しかし、デモはカイロだけでなく、地中海をのぞむアレクサンドリアやスエズ運河をにらむポート・サイードにも広がっています。ムバラク政権は今回ばかりはおそらくもたないでしょう。その後にエジプトがどうなるのか? ムバラク政権が倒れなくても、その後のエジプトはどうなるのか。世界が不安定に向かう可能性が高いでしょう。がまんづよく、穏やかなエジプトの人たちのこれからも気がかりです。
●「カイロのおばあちゃん」は無事
マダム・アミーラは孫のめんどうを見にカナダに住む次男のカマールのところに長期滞在していたのですが、家内がフェイスブックでガマールに連絡をとったところ。3週間前にカイロに帰ったとのこと。ガマールがきょう電話したところ、騒乱の起きているカイロ西部とは反対側のヘリオポリスは比較的静穏。できるだけ早く出国できるように段取りをとったとのことで、一安心しました。穏やかなエジプト社会の中で、私たち家族はカイロでほんとうに幸せに過ごしました。結婚前に家内がホームステイしたマダム・アミーラの家族は、何かがあるとかけつけて助けてくれましたし、私たちがウィーン駐在のころは、ウィーンに遊びにきてくれました。ボン駐在のときは、長男の結婚式出席のために私たちは家族をあげてカイロに行ったものでした。

カイロの高速道路下に集まる人々
●なつかしい町が騒乱の巷に
アルジャジーラが伝える映像によると、市民と警官隊の衝突の現場は、まさに私たちが住んでいたナイル川の中の島「ザマレク」周辺です。家族で買い物をし、散歩したところがいま世界が注目するホットゾーンになっているのです。アルジャジーラの動画は新聞の写真や情報量の少ない日本のテレビではわからないものを伝えてくれます。ムバラク大統領が辞任を拒否した翌日の29日午前、カイロのタハリール(解放)広場に再び集まったデモ隊には普通の市民が多いように見えます。ムバラク大統領の退陣を求めることでは一致しても、ムバラク後の政権の受け皿は不明です。方向性が見えないためか、デモ隊の一部が暴徒化して、略奪や破壊も始まっているようです。

カイロのタハリール広場
●ムバラク政権への怒りはとまらない
いまアラブ世界を襲っている政治変動の波は巨大です。ベンアリ大統領を追放したチュニジアについては、日本の新聞が書き始めるはるか前、内陸のシディブジッドで市民が立ち上がったころから法政大学の大中一彌准教授がツィッターで報じていました。SNSが裾野を広げた今回のアラブの市民蜂起がエジプトなどに波及することは予測されていたのですが、ムバラク政権がインターネットを遮断したところで、事態を鎮静させることがむずかしい段階に入ってしまったのかもしれません。

エジプトのムバラク大統領
●エジプトは、世界はこれからどうなる
人口8000万人余の大国、歴史的にも文化的にもアラブ世界の中心であるエジプトは冷戦時代もそして冷戦後のイスラム原理主義の高潮の中でも、地域のバランサー、世界の安全保障の一方の要石でした。そのポジションを利用して長期政権を維持してきたムバラク政権は腐敗してしまいましたが、よくも悪くのビンのフタの役割を果たしてきました。しかし、デモはカイロだけでなく、地中海をのぞむアレクサンドリアやスエズ運河をにらむポート・サイードにも広がっています。ムバラク政権は今回ばかりはおそらくもたないでしょう。その後にエジプトがどうなるのか? ムバラク政権が倒れなくても、その後のエジプトはどうなるのか。世界が不安定に向かう可能性が高いでしょう。がまんづよく、穏やかなエジプトの人たちのこれからも気がかりです。
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