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    2010-11

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    憲政の常道はどこへ - 2010.11.30 Tue

    参議院で26日「問責決議」をされた仙谷由人官房長官馬淵澄夫国土交通相は、週が明けてもそのポストに居座っています。すでに、柳田稔法相のクビをとられた菅直人内閣は、これ以上の辞任ドミノが起これば、もうもたないのは事実ではあります。問責決議には法的拘束力はないとはいえ、仙谷、馬淵両氏の問責理由と柳田氏のそれを比べると、仙谷、馬淵氏の方が重いようにみえます。政権維持のために仙谷、馬淵氏を居座らせるこの政権の良識を疑わせます。

    sengoku 

    ●直近の民意論はどこへ行った

    仙谷官房長官は参議院での問責決議可決後最初の記者会見で、「(辞任は)全くと言っていいほどない。命じられた職務を全うするだけだ」と明言しました。法律家である仙谷氏は、内閣への不信任決議権を持つ衆院の判断が優先されると理由付けました。衆議院はたしかに不信任案を否決しました。でも、そこで浮上するのは「直近の民意論」です。参議院の方が直近の民意であることは明白ですし、参議院で野党が多数になった福田康夫内閣、麻生太郎内閣のころ、民主党が「直近の民意論」をいいつのったのは、まだ記憶に新しいところです。

    ●法律以前の了解事項をないがしろに

    政権交代が実現して1年余。この間、民主党政権は「国民との契約」と胸を張ったマニフェストを裏切っただけでなく、もっと基本的な政治の了解事項を掘り崩してきました。小澤一郎氏の「政治資金規正法違反事件」、鳩山由紀夫氏の「子ども手当」問題と「政界引退撤回問題」、そして今回の「問責無視」。いずれも、法律の規制の及ばない、あるいは微妙な範囲の問題ではあります。また「熟議の民主主義」をうたっていたのに、夏の臨時国会は、民主党から出ている参議院議長が議論を封殺して会期を終わらせてしまいました。

    鳩山由紀夫 

    ●法律が規制していなければ何でもできる?

    行政は法律の枠を踏み越えることはできません。また、何人も法律を犯さないかぎりは罰せられることはありません。これは法治国家の原則です。その法律をつくる広範な権能を与えられている政治家が「法律が規制していないから」という理由で政治家としての責任を逃れようとするのには違和感を覚えます。

    ●日本の議会主義の基本だった憲政の常道

    戦前も含め、日本の議会主義には「憲政の常道」というモラルがありました。それは、規制する法律がない分野に政治が踏み込んだとき、政治家全体が国民に対して恥ずかしくない行動をとることです。小渕恵三内閣の防衛庁長官だった額賀福志郎氏は防衛庁調達実施本部背任事件を理由として当時与党が過半数割れであった参議院で1998年10月16日に問責決議案が可決され、11月に辞任を余儀なくされました。1979年のダグラス・グラマン献金事件で、いまの小沢氏同様不起訴処分になった故松野頼三氏は、国会での証人喚問を受けた上で議員辞職しました。

    ●憲政の常道はどこへ

    菅直人 

    仙谷、馬淵両氏の場合は自民党、公明党の方針のずれを利用して、あるいは北朝鮮による韓国砲撃事件という危機を隠れ蓑として居座るのでしょうか、はたまた「内閣改造」という煙幕の中で責任をあいまいにしたまま退場するのでしょうか、さらには「解散・総選挙」という霧の中にまぎれ込むつもりなのでしょうか。国会の一院の意思に正面から答えるつもりはないようです。一方で、菅首相は27日、鳩山由紀夫氏と都内の中華料理店で会談した中で「内閣支持率が1%になっても辞めない」と述べたそうです。これが憲政の常道にかなうものではないことはいうまでもありません。この発言が問題になると、鳩山氏は「それは菅首相のことばではない」といいだしたそうです。事実がどうであったかはともかく、「鳩山さんのいうことではねえ」と感じる人は少なくないでしょう。



     
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    米韓軍事演習 東アジアを不安定にしたのはだれ? - 2010.11.29 Mon

     28日から、黄海で米韓合同軍事演習が始まりました。今月23日の北朝鮮による韓国・大延坪島への砲撃を受けての行動ですが、横須賀を基地とする米原子力空母ジョージ・ワシントンが黄海に入ったことで、この間大きく変化しようとしていた東アジアの安全保障構図に、また新たな要素が付け加えられました。

    GW 
    米原子力空母ジョージ・ワシントン

    ●相次ぐ安保、主権に関わる事件

    尖閣諸島での中国漁船と巡視船の衝突事件をきっかけに中国は尖閣諸島に対する領有権主張を鮮明にしました。一方、ロシアはメドベージェフ大統領が北方領土の国後島を視察し、北方領土返還への期待を打ち砕きました。近来にない安全保障や主権に関わる大事件への効果的な手が打てない菅直人政権への批判が収まる間もく、今度は北朝鮮の砲撃です。

    ●民主党政権は運が悪いのか?

    中国、ロシアの動きは第二次世界大戦の勝ち負けがつくりだした権益を勝者の側から固定あるいは拡張しようというものです。また、北朝鮮の行動は朝鮮戦争の結果に挑戦するものです。「民主党政権も次々と難題が出てきて災難だ」、あるいは「間の悪いときに政権についたものだ」と同情される向きもあるでしょう。しかし、事実はその反対で、一連の事件はむしろ民主党政権が招いたものだと考えられます。

    ●一連の事件招いた「日米安保の揺らぎ」

    一連の「事件」を培養した土壌は「日米安保」の揺らぎです。東アジアで自由主義国家群の安全保障の基軸になていたのは、「日米安保」と「米韓安保」でした。日本で鳩山由紀夫政権が誕生した結果、まず「日米安保」が揺らいだのはもうみなさんよくご存じのことです。かねて、海軍を増強し、安全保障ラインを東にずらそうと考えていた中国は政権がぐらついている日本に圧力をかけるとともに、日米安保の限界を探ろうとしました。それが「尖閣事件」です。しかし、米国が「尖閣諸島も日米安保の共同防衛対象」とクリントン米国務長官が明言すると、中国は「米国は言動を慎め」と威嚇しながらも、その姿勢を弱めています。それでも、米オバマ政権も中間選挙の敗北でぐらついています。今後も日米は試されていくでしょう。
     
    obama 菅直人

    ●「日米安保の弱体化」見透かされる

    ロシアの行動は、大統領選挙を控えたメドベージェフ大統領の国内基盤固めという側面はありますが、国後島訪問という日本の国民感情を逆撫でするような挙に出たのは、やはり日米安保の弱体化を見透かしたもののようです。ただ、この間、中国がロシアに対して、「北方4島のロシア領有権を認めるかわりに、中国の尖閣領有権を認めてほしい」と誘いをかけたのに対し、ロシアは乗らなかったという情報があります。実効支配する者としていない者の差がここにはあったようです。ロシアもここではまだ慎重です。
    ●北朝鮮の挑発行動の意味

    そこに北朝鮮による韓国領砲撃が起きました。時間がたつにつれて、事件は突発的なものでなく、周到に準備されたものであることが明らかになってきました。北朝鮮は金正日から金正恩への権力移行核開発、米国による体制安堵などを同時並行で進めなければならない極めて微妙な時期にあります。そして、それぞれの正否は日米韓、中ロの出方、そして関係国相互の連関関係に大きく左右されます。

    ●日米韓と北朝鮮

    世宗大王
    韓国のイージス艦 世宗大王

    日米韓の安保上の三角形には日韓安保が欠落しています。米韓安保(米韓相互防衛条約)は日米安保によって支えられています。日米安保が強固であれば米韓安保も盤石ですが、その日米安保は揺らいでいます。その間隙をついて北朝鮮は韓国を攻撃しました。日米韓の三角形がどの程度機能するか、日米安保の揺らぎが現実の日米韓安保にどのよう影響を与えたかに探りを入れたのです。これは軍事用語の「威力偵察」に似ています。偵察には隠密偵察と威力偵察があります。隠密偵察とは敵に察知されることなく行う偵察行動であり、威力偵察とは部隊を展開して小規模な攻撃を行うことによって敵情を知る偵察行動です。

    ●中国と北朝鮮

    北朝鮮の「威力偵察」は、同時に六カ国協議のほかの参加国である中国とロシアの出方を占う効果もあります。昨年までは、米艦隊が黄海に入ることに中国は強い異議を挟みませんできませんでした。最近の海洋戦略の組み直しの結果、中国は「黄海は自国の内海」との姿勢を強めました。ことし3月の韓国哨戒艦爆沈事件後の対抗措置として計画された黄海での米韓合同演習を中国が日本海に押し戻したのは、その表れです。今回は、中国は黄海での米韓演習を結果として容認せざるを得ませんでした。拒否すれば、北朝鮮説得の「実」をあげることを求められるからです。

    kimjongil hu 金正恩 

    ●中国には迷惑だった北朝鮮の暴挙

    北朝鮮の挑発行動で中国は多大の迷惑をこうむったといえるでしょう。六カ国協議の仲介国として北朝鮮の核武装をとめる役回りと同時に、まだ「参戦条項」を残す中朝友好協力相互援助条約を結んでいる事情、さらには、北朝鮮が崩壊しても、暴発しても直接の被害を受ける隣国として事態を穏便にすませたいと思っているからです。

    ●東アジアはパワーポリティクスに突入

    今回は、日米韓の安保はとりあえず作動したといえるでしょう。北朝鮮も当分は危険な挑発行動を控えそうです。それが北朝鮮の威力偵察の結論です。なぜなら、北朝鮮は戦争をしかけることはできません。戦争の結果、直接の体制崩壊という事態に至らないとしても、米国の圧倒的な軍事力によって痛撃を受ければ、後継者としての金正恩の正統性に傷がつき、それは体制の崩壊につながるからです。今後も突然の砲撃やテロ攻撃を外交の手段として利用することはあっても、戦争に訴えることはないでしょう。米韓合同演習は戦争の抑止に役立ちました。しかし、突然の砲撃やテロまで抑止することはできません。今後も朝鮮半島では不安定な状態が続くでしょう。他方、尖閣諸島をめぐる日中対立は、28日朝にも中国は漁業監視船2隻を尖閣諸島に近づかせましたが、日本が日米安保を堅持強化すれば、当面は露骨な要求には出ないでしょう。六カ国協議や日中首脳会議という話し合いよりも原子力空母が有効というのは残念なことです。しかし、これがパワーポリティクスの現実ですし、東アジアは新冷戦どころか再びパワーポリティクスの時代に突入しています。

     ●こりない鳩山由紀夫発言

    鳩山由紀夫 

    民主党政権は北朝鮮の行動を「許容しがたい」と強く非難したものの、制裁としては朝鮮人学校の授業料無料化事務停止という、いささか筋違いの反応を示すだけで、関係国の話し合いをリードすることはできませんでした。それどころか、鳩山由紀夫前首相は24日の民主党議員勉強会で、日米同盟に「真の信頼関係があるか?」と疑問を呈したそうです。普天間基地移転問題の不誠実な扱いで日米同盟を揺るがした当事者の発言です。国内ではさすがにもう鳩山由紀夫氏をまともに取り合う人は大幅に減っていると思われますが、国外に対しては腐っても総理大臣経験者です。その不見識な発言はまた東アジアの安保に悪影響を与えかねません。日米安保はさまざまな批判を受けながらも、戦後の日本の平和を下支えしてきました。ことしはその50周年なのですが、その功績にふさわしい祝典もなく過ぎていこうとしています。これは何よりも日米安保の揺らぎを象徴しています。





    美術館にはおいしいカレーが - 2010.11.26 Fri

    以前このブログでご紹介した「ロックの好きな文部大臣」、故砂田重民さんは、美術についてもユニークな発言を残しています。福田赳夫内閣のころ、日本は米国から貿易黒字減らしを厳しく迫られていました。芸術行政を担当する砂田さんは、福田首相から、美術品の輸入を命じられていました。

    ●美術館にはおいしいカレー

    curry 

    「道楽」と思う方もおられるかもしれませんが、それは違います。価値のある芸術作品の輸入は国富を増やすことです。砂田さんは、その仕事を楽しんでいたのですが、あるとき、こんなことばをもらしました。「萩谷君。美術館にはおいしいカレーが必要なんだよ。おいしいカレーを目的に美術館に来るのもいいじゃないか」。

    政局取材に血道をあげていた当時の私には、その意味を正確には理解していませんでした。その後、私はドイツ海外放送(ケルン)に派遣されました。そして、シュツットガルトの州立美術館の老監視員の導きで、美術館通いにめざめたことは、昨日のブログに書いたとおりです。

    ●芸術はおなかをすかせる

    basel 
    バーゼル市立美術館

    それから2か月後、休暇でスイスに旅行しました。最初に入ったドイツ国境の町バーゼル市立美術館を訪ねたのはいうまでもありません。この美術館はハンス・ホルバインのコレクションをはじめ、西欧絵画のコレクションが充実しています。また、ダダイズムやシュルレアリズムなど、現代美術も多数所蔵しています。

    欧州絵画の歴史を概観して疲れた頭を美術館のカフェで休めていると、隣のテーブルに70歳近い女性3人がおしゃべりしています。何とはなくその話の輪に入れてもらいました。聞けば、3人は女学校の同級生、もう50年以上の仲良しだそうです。月に1回市立美術館に集まって、カフェでおしゃべりを楽しむのだそうです。

    museumscafe 
    ドイツのある町の美術館カフェ

    「全部は見ないのよ。気分に合ったコーナーだけ」「あとは、ここでおしゃべり」。すると、もう一人が合いの手を入れました。
    「Kunst macht hungrig!」(芸術はおなかをすかせるのよね)。事実、彼女たちは健啖でした。

    ●カフェにはお酒も

    カフェには軽食やケーキのほか、ワインやコニャックまで用意されていました。「ときには、ワインをいただくこともあるわ」。そのとき、私は砂田さんのいったことを具体的に理解しました。美術館は芸術を勉強するだけの場所ではありません。絵画や彫刻を楽しむ憩いの場であり、人との邂逅の場でもあるのです。その触媒になるものは食べ物であり、飲み物です。肩をいからせて芸術を鑑賞するだけでなく、おいしい食べ物を仲立ちに、友と語らい、そして芸術に自然に親しんでいく。砂田さんの意図するところはそこにあったのでした。それからの私は、美術館に行ったとき、必ずカフェに寄り、ビール、ときにはワインをたしなみながら、絵の余韻を楽しむようになりました。ただ、いったんアルコールが入ると、もう一回見る気力が失せるのが玉にキズです。

    ●砂田さんの哲学が現実に

    sunada 

    砂田さんとの会話から30年余がたちました。いまでは、日本の美術館の多くは、すてきなカフェを併設しています。砂田さんの理想が達成されているといってよいでしょう。当時、砂田さんは「ロックの好きな文部大臣もいたよ」という広告コピーにもなりました。このブログを書くために調べていたら、なんと、あのネット掲示板2chの8月の書き込みに「ロックの好きな文部大臣(砂田重民)」というのを発見しました。砂田さんが、このように知られたのには、私の記事も少しは貢献したのですが、「美術館にはおいしいカレーが必要」ということばが残らなかったは、記者として私が鈍感だったせいかもしれません。








     

    カンディンスキー プラスアルファ - 2010.11.25 Thu

    東京・丸の内の三菱1号館美術館で開催されている「カンディンスキーと青騎士」展の展示作品の実家であるドイツ・ミュンヘン市立レンバッハハウス美術館を家族で訪れた1996年、うれしいプラスアルファがありました。

    ●3人の息子を呼び止めた監視員

    膨大なカンディンスキーの展示を見終わり、別棟へ向かう通路で、年配の監視員が中学生、小学生、幼稚園児だった3人の息子たちを手招きします。彼の持ち場の一室を覗くと、広い床面に規則的に石が並べてあります。現代作家の作品でした。「お子さんたちはドイツ語がわかりますか?」。オーストリア、ドイツと都合5年目のドイツ語圏でしたが、息子たちはブリティッシュ・スクールに通わせていました。「まあ、いいでしょう。ドイツ語になったら親御さんが通訳してください」と彼は息子たちに、数学の数列を使ったその作品を説明してくれました。息子たちが理解したかどうか、それはわかりませんが、これはドイツの美術館にはよくあるサービスです。

    lenbachhaus 
    レンバッハハウス美術館の庭にはMaxErnstのおもしろい彫刻が並ぶ

    シュツットガルトでも老監視員が

    私がドイツの放送局に派遣された1981年、はじめての出張で訪れたシュツットガルト。水曜日の夕方、時間があいたので州立美術館を訪ねました。4月とはいえ、雪が降った寒い日の夕方です。観覧客もほとんどいない美術館の一室で私の足が止まりました。ドイツ表現主義のオスカー・シュレンマーの絵の前でした。しばらくすると、年配の監視員が近寄ってきます。「この絵がお好きですか?」。幼いころ父の書棚にあった美術全集でシュレンマーの絵を見て、印象に残ったことを話すと、彼は説明を始めました。

    Staatsgallerie 
    シュツットガルトの州立美術館(いまは新築の別の建物に)

    ●お若いの、にやさしく説明

    「シュレンマーはもともと建築家でした。ですから、構成には興味はあるけれど、人間の顔には興味がなかった。だから、ほら、ここの人物は全部横顔でしょ」。当時私は33歳。日本人は童顔ですから、彼にはまさにJunger Mann(お若いの)です。やさしく説明してくれませす。次にウィーン分離派のオスカー・ココシュカの絵です。晩年描いたシュツットガルトの市街の絵でした。ココシュカは前年の1980年に94歳で亡くなっていました。「ココシュカは大家になった晩年、あちこちの町に頼まれて、こうした絵を描いています。でも、つまらなかったんでしょうね。よく見ると、絵の中にいたずら描きをしています。ほら、この絵の空の部分にヨットが、人の顔があるのがわかるでしょ」

    schlemmer 
    オスカー・シュレンマー「バウハウスの階段」

    ●オットー・ディクスとの出会い

    そして次にあたりを見回すと、「私は本当はこの部屋を離れてはいけないんだがね」と言いながら、少し離れた部屋に私を引っ張って行きました。そこには、Neue Sachlichkeit(新即物主義)の画家オットー・ディクスの代表的大作、Triptychon(三部作)「大都会」がありました。私はそのときまでディクスを知りませんでしたが、彼のお気に入りだったのでしょう。退廃芸術としてナチスに迫害されたディクスの生涯、爛熟した戦間期の大都会の生活を描いた大作の構成について彼は丁寧に説明してくれました。 オットー・ディクスがお気に入りの画家になったのはいうまでもありません。

    Grossstadt 
    オットー・ディクスの「大都会」

    ●美術館はその町の歴史を、人を知るよすが

    このときから私の美術館通いが始まりました。その後もいろんなところで、彼のような監視員に恵まれました。「芸術が好き」「その喜びを多くの人に分け与えたい」と思う人々です。ヨーロッパの町はどんな小さなところでもたいてい美術館があります。そこで生まれた大家やそこで暮らした大家だけでなく、その町に縁のある日本では無名な芸術家の作品が収蔵されています。その町の歴史やコミュニティがそのまま美術館のコレクションのポリシーになっています。作品そのものだけでなく、そのポリシーを知ることが、その町を、歴史を、そして人を知る手がかりになっていったのです。そのきっかけを与えてくれたシュツットガルトの州立美術館の老監視員さんは、私の忘れ得ぬ人の一人です。










     

    カンディンスキー様 大挙ご入来! - 2010.11.24 Wed

     「カンディンスキーと青騎士展」(主催 東京新聞)が23日から、東京丸の内の三菱1号館美術館で始まりました。ドイツ・ミュンヘン市立レンバッハハウス美術館が所蔵するカンディンスキーを中心とするコレクションのうち60点が、ことしから始まったレンバッハハウス美術館の増改築を機に貸し出されたものです。東京新聞に勤める知人のおかげで、22日の内覧会に参加する幸運を得ました。

    poster 

    ●カンディンスキーの内的変化を知るのに絶好

    抽象画の先駆者ワシリー・カンディンスキーはモスクワ生まれのロシア人、1896年にミュンヘンに留学し、やがて抽象画に進みます。レンバッハハウスのコレクションはミュンヘン時代にパートナーだった女流画家ガブリエレ・ミュンターが寄付したものです。ですから若きカンディンスキーの内的発展を知るには最適です。

    ●抽象画は「むずかしい?」「いたずら描き?」

    absatract 
    カンディンスキーの抽象画

    抽象画というのは、ともすれば難解です。パブロ・ピカソも「あんないたずら描きならおれにもできる」といったたぐいの揶揄を浴びます。学校時代以来お絵かきが下手で劣等感を持ち続けている私もかつては、その類でした。しかし、1981年にドイツで生活する機会を得て、欧州中の美術館通いをするうちにそれは変わってきました。

    ●ピカソは具象の達人だった

    具象 
    ピカソ少年時代の作品

    その中でも大きな影響を与えてくれたのが、1982年の大晦日に訪れたスペイン・バルセロナの「ピカソ美術館」です。ここには、すでに具象画の達人であった少年時代から晩年まで作品が展示されています。具象から抽象への変移の必然性を私のような素人にも感じさせました。

    ●周到な作品選びがカンディンスキー理解を助ける

    それに負けないインパクトを与えてくれたのがレンバッハハウス美術館とカンディンスキーです。今回の東京の60点は膨大な作品群から周到に選ばれていますから、その作品に沿ってお話ししましょう。1901年の「ミュンヘン―イーザル川」(展示番号07)はまだ具象ですが、すでに色彩の意味が形象を上回っています。1903年の「花嫁」(12)はユーゲントシュティールとロシア的風景の混合でメルヘン的な雰囲気に充ち満ちています。このスタイルのカンディンスキーは甘美で妖しいまでの作品群を残しています。


     Isaar 花嫁 馬上の2人 
    イーザル川        花嫁             馬上の2人(今回非出品)

    ●決定的な意味を持った「色彩」と「光線」

    そして1908年の「ムルナウ―塔のある風景のための習作」(22)。ここでは、色彩が物の拘束を脱出して噴出し始めています。1909年の「オリエント風」(33)も同様です。こうした色彩の解放は、1904/1905年にミュンターと旅をしたチュニジアの影響であることは確実です。地中海の光がヴィンセント・ファン・ゴッホを変えたようにです。私のような素人には画家のこのような変化を知ることは絵を理解するうえでとても重要なことです。ドイツ表現主義が好きな私に、カンディンスキーは絵画を形象以外から見るなどさまざまなヒントを与えてくれます。

    murnau ORIENT 
     ムルナウ             オリエント風

    ●南の陽光は紫色?

    1992年正月、私はエルサレム中心街でユダヤ人の友人が営む画廊で、1人のロシア系ユダヤ人の若い画家に出会いました。画廊の店番をして生活費を稼いでいたその青年画家から、ゴルバチョフ改革のおかげでロシアから出てきて最初に描いたエルサレム旧市街の油彩を買いました。エルサレム・ストーンの町並みに注ぐ陽光に彼は紫色のトーンを混ぜていました。「ほんとうに紫色に見えたの?」と尋ねると彼は「そうだ」と答えました。まぶたを閉じたまま直射日光の下に出て目を開いたときの感覚です。その画家もカンディンスキーと同じ暗いロシアの出身です。

    jerusalem 
    Davi Kan の「エルサレム旧市街」

    ●光は画風を変える

    そのとき、彼はその後描いた「サロン」も買ってほしいといいました。明るい華やかなサロンでさんざめく女性群を色彩と光線主体に描いた絵でした。でも、大きな絵で、そのころ住んでいた日本のマンションでは掛けるところもありません。2000ドルという価格も障害でした。のちに、レンバッハハウス美術館でカンディンスキーの「オリエント風」を見た私は「しまった」と思いました。「サロン」はそれに似た雰囲気を持つ絵だったのです。南の陽光がここでも、画家を変えています。友人の画商は、その後彼Davi Kanをニューヨークに連れていって売り出しました。オペラでサロンの場面を見るたびに、悔やみます。

    ●館長みずからの解説も聞けた

    内覧会には、すでにこのブログにも登場したドイツ大使・フォルカー・シュタンツェル氏夫妻も来ておられました。VIPである大使には、ミュンヘンから来たレンバッハハウス美術館のヘルムート・フリーデル館長がご進講します。コバンザメよろしく、大使夫妻にくっついて解説を聴くという幸運にも恵まれました。

    三菱 

    ●建築としての三菱1号館美術館にも見る価値

    「カンディンスキーと青騎士展」は来年2月6日まで。ことし開館した三菱1号館美術館の明治のインテリアを楽しむのもまたよしです。東京のあとは愛知県美術館、兵庫県立美術館、山口県立美術館を回り、来年9月6日まで楽しむことができます。







    「暴力装置」 ”sengoku"ビデオから見えるもの(2) - 2010.11.23 Tue

    仙谷由人官房長官の「暴力装置」発言は、参議院予算委員会の3分半で国会の議事録上は決着しましたが、ネットを起点としたその後の余波で蒸し返されることになりました。

    ●マックス・ウェーバーが味方に?

    マックス・ウェーバー 

    最もgewaltig(強力です。暴力的とはいいません)だったのは「マックス・ウェーバー」です。マックス・ウェーバー流と称される「暴力装置」と日本左翼用語としての「暴力装置」、そしてそれぞれの用法に親しんできた世代と社会グループについては、(1)で書きましたので繰り返しませんが、「マックス・ウェーバー」を黄門さまの印籠よろしくふりかざした人々の影響か、国会では「マ」の字も出さずに謝罪した仙谷さんは、その後マックス・ウェーバーを持ち出しました。さらに、自民党の石破茂政調会長が、かつて「暴力装置」ということばを使ったという発見を持ち出す人が出てくるにいたって、俄然仙谷さんとその仲間たちは元気づきました。

    ●「石破茂は悪くないのか」との逆ギレ

    石破茂 

    これは昨年3月の朝日新聞の第7回朝日アジアフェロー・フォーラムで「国家の定義というのは、警察と軍隊という暴力装置を合法的に所有するというのが国家の1つの定義のはず」と述べたものです。学者や専門家の討議での発言です。国民に向けて政府の姿勢を説明する国会で、それも唐突に出たものとはわけが違います。石破さんの使い方は、まさに学者、研究者が是とする使い方です。私自身も石破さんのような使い方はしてきました。しかし、仙谷さんの使い方をこれとひとしなみに扱いには無理があります。

    ●石破さんの自戒

    とんでもない引き合いに出された石破さんは、11月19日付の自分のブログで「原典はマックス・ウェーバーの『職業としての政治』なのですが、外国語による著作を引用するときは、原文にあたらないと、訳語のニュアンスで誤解を招きかねないので、これからもっと私も注意しなくてはなりません(ウェーバーの著作には他にも「装置」という訳語が多く出てきます)」と自戒しています。一方、仙谷さんは22日の参院予算委で、自らの発言について、「適切を欠くものとして謝罪し、撤回したことを改めて申し上げたい。現代的には、自衛隊は実力組織あるいは実力部隊と言うべきところの言い間違いだった」と改めて発言を撤回し、謝罪しました。

    ●「暴力装置」という言葉の身元調査始まる

    「暴力装置ということばを使って何が悪い」という議論の一方で、「マックス・ウェーバーの意味することを『暴力装置』と翻訳したこと自体が間違っているのではないかという指摘がやはり学者、研究者から出てきました。ネット上での経過は@mnb_chiba さんの労作「暴力装置の語源や訳語をめぐって(1)」と「暴力装置の語源や訳語をめぐってpart2レーニン的起源と日本的文脈」に譲ります。

    ●ドイツ語のGewaltの意味

    Duden 

    私としては日本で「暴力」という訳語が与えられている「Gewalt」というドイツ語の理解そのものに誤りがあることを指摘するにとどめます。ドイツで社会生活をしているとGewaltということばには、けっこうお目にかかります。そのものずばり「暴力」という意味の時もありますが、日本語での絶対悪に近い「暴力」の意味内容とGewaltの意味内容はまったく同じではありません。DUDENでも、日本の大きな独和辞典でも、第1の意味は権力、支配力、制御力、第2が無法、暴力です。
    die richterliche(裁判官の)Gewaltは「司法権」ですし、DUDENには
    die göttliche Gewaltという熟語も出てきます。göttlicheは「神の」です。

    ●イケてる訳語だった暴力装置

    ドイツ語の達人ではありませんが、長年ドイツ語で食べてきた私には
    Gewaltを「暴力」と訳してしまうことこそ「暴力的」に思えます。しかし、翻訳されたころの時代精神、言語環境では、「暴力装置」は「イケてる」訳語だったのでしょう。そして、現在でも「イケてる」と感じている人がけっこう多いことがこの間のやっさもっさでわかりました。

    ●1人歩きしたカタカナの「ゲバルト」

    左卜全 

    一方、大学紛争の時代以降Gewaltはカタカナの「ゲバルト」として日常語になってしまいました。悲惨な「内ゲバ」から滑稽な「ゲバルト・ローザ」左卜全さんの「やめてケレ ゲバゲバ」(老人と子供のポルカ)まで。「Gewalt」は「暴力」として固定されました。「ゲバルトとはおれのことかとGewalt言い」のようなものです。

    ●「暴力装置は政治学の常識」かな?

    マックス・ウェーバーの意味することは、合法的な政府の意思を実行させる担保としての強制力ということのようです。もちろん、それはむき出しの暴力になることもあります。Gerwaltがカバーする意味内容の幅広さです。しかし、かつての左翼の用語のような「悪いやつら」という意味合いとはどういう関係にあるのでしょうか。ここまで書いたところで、友人が「『はてな』ブログ上の『名無しさんの弁明』が、神山茂夫起源説を唱えています。ヴェーバーじゃないことも併せて論じておられるようです」と教えてくれました。興味がありましたら、上のハイパーリンクをクリックしてみてください。「暴力装置はマックス・ウェーバーのことば。政治学の常識」という根拠も実は危ういかもしれません。

    ●2次情報で妄想を逞しくした人々

    それでは、こうした誤解、曲解がなぜ集中的に発生したのでしょうか。それは、ネット上の発信者たちが「仙谷さんの暴力装置発言」を知ったメディアが何だったのかによると私は考えます。「マックス・ウエーバー」や「石破茂さん」を持ち出した人の多くは2次情報によって知った人のようです。すでにテレビ・ニュースや新聞、インターネットニュースなど、マスコミがそれぞれの価値判断によって切り取り解釈した情報をもとに妄想を逞しくしてしまったといってよいと思います。

    ●現場にいた菅直人首相にはわかった「不適切」

    sengoku 菅直人 

    カギは(1)で書いたように、失言から謝罪まで3分半という短い起承転結にあります。現場にいた人、あるいはテレビ中継を見ていた人は当事者の仙谷さんが謝罪したことで、事柄を理解しました。つまり「不適切」だったのです。それは、現場にいて一部始終を目撃した菅直人首相があっさり謝ったことでも、わかろうというものです。

    「暴力装置発言」は実に多面的な政治、社会、心理現象でした。実に興味深いものでしたが、「マックス・ウェーバー」を振り回した人たちには、あまり勉強にならなかったようですね。
     




    「暴力装置」 ”sengoku"ビデオから見えるもの(1) - 2010.11.22 Mon

    仙谷由人官房長官が18日の参議院予算委員会の答弁で、自衛隊を「暴力装置でもある」と表現したことで国会は紛糾、このことば使いは新聞、テレビや、ネットの世界でさまざまな角度で論じられました。

    ●大学の授業で顛末を解説

    「暴力装置」論争の顛末。私は翌日、法政大学の「マスコミ論」の授業で紹介して、コミュニケーション論とメディア論の観点から解説しました。主なキーテーマは「世代と言語環境」「メディアの違いによる認識の違い」と「現実政治」の係わりでした。

    ●youtubeに感謝

    私の学生時代には、授業でこうした問題の取り扱うのは容易ではありませんでした。「暴力装置発言」という事実自体を生で知ることがむずかしいからです。国会の委員会を傍聴できるのは極めて限られた人です。テレビの国会中継も見られる時間のある人は少数。あとは、テレビにせよ新聞にせよ、マスメディアの価値判断によって編集されたものです。しかし、ネット時代のいまは「仙谷答弁」は即日youtubeにアップロードされていました。当然授業では4分弱の起承転結を学生に見せることから始まりました。ごらんください。

     

    ●3分半劇場

    「暴力装置」論争はいまなおくすぶっています。これを解明するための簡単なキーがあるのですが、テレビ・ニュースや「字」によるメディアで一報を知った人たちには、そのキーは手にできません。それは、
    youtubeでわかるように、これまでの失言では撤回・謝罪に時間がかかった仙谷さんがわずか3分半の間に、「撤回・謝罪」してしまったことです。

    ●仙谷さんのミス

    わずか3分半で決着させたのは、「ミス」に仙谷さんが気づいたからだと私は見ています。最初に委員会室が騒然とすると、仙谷さんはすぐに「実力組織」と言い直します。以後は、世耕 弘成委員(自民)の要求に従って、あっという間に謝罪しました。国会の場ではそれで決着です。しかし、それとは別に「暴力装置発言」はさまざまな反応を呼びます。

    ●マックス・ウェーバーに飛びつく快感

    マックス・ウェーバー 

    まず出てきたのは「『暴力装置』はマックス・ウェーバーのことば。政治学、社会学の基礎用語だ」と仙谷さんを擁護する意見です。これは、まず学者や知識人によって持ち出されました。一方匿名なのに自己顕示欲の強い人の多いネット住民がこれに飛びつきました。「仙谷批判」に絡むついでに、自分をインテリであると顕示するチャンスです。

    ●共産党の小池晃さんは「・・・」

    レーニン 

    「暴力装置」は”日本語版”ではマックス・ウェーバーにも、レーニンにも出てきます。学問の世界では普通に使われています。しかし、世間ではどうでしょうか? ふだんの生活で使われることばではありません。一方、日本では、「暴力装置」は左翼用語、革命用語でした。「軍隊や警察は革命勢力による権力奪取を妨害する暴力装置だ」という使われ方でした。1990年代前半ぐらいまでは、国会でも革新系議員が使いました。しかし、共産党の小池晃さんがtwitterで「“暴力装置”・・・。ずいぶんと昔にそんな言葉を聞いたような…。今では日本共産党のHPにもそんな用語はありませんけど」というような代物です。

    ●仙谷さんの「QBK」

    翌日の記者会見で仙谷さんは「(野党側から)細かいところの無通告質問が多く的確に答えるのは難しい」とこぼしました。ここから推察できるように、仙谷さんの口からとっさに、かつて使い慣れた「暴力装置」ということばが出てしまったのでしょう。2006年サッカーワールドカップでの柳沢敦選手のQBKのようなものです。しかし、ただちに訂正し、さらに撤回、謝罪した仙谷さんの判断は的確だと思います。

    ●国会答弁には不適切なことばだった

    JSDF1 JSDF2 

    革命用語としての「暴力装置」を過去に使い慣れたことのある団塊の世代以上ならともかく、1970年代以降、革命用語としてのこの言葉を使う人は過激派など、ごくかぎられています。多くの人は「暴力装置」ということばには驚きもし、そう呼ばれた「自衛隊員はかわいそう」と思う時代です。広く国民向けに政府の姿勢を説明する国会の場で使うのは不適切です。また、仙谷さんが過去使い慣れていたのはマックス・ウェーバーの学術用語ではなく、「革命用語」「反体制用語」としてです。その文脈でいえば、いまや仙谷さんは権力の中枢、革命で打倒される対象ですし、「暴力装置」に守ってもらう筋合いです。他方、マックス・ウェーバーの意味合いだとしても、マックス・ウェーバーを知らない人に対して、その権威をもって、その驚きや嫌悪を帳消しにすることはできないでしょう。

    ●仙谷さんは火消ししようとしたのだが

    すぐに火消ししようとした仙谷さんはさすがです。また、謝罪を「法律用語としては不適当」「自衛隊のみなさん方には謝罪いたします」と限定もしています。憲法にも自衛隊法にも警察法にも「暴力装置」ということばはありません。政府は法律の用語の範囲内で答弁、行動するという認識は正しいと思います。しかし、事態は「3分半劇場で決着」とはいきませんでした。






    TPP選挙のすすめ 「ればたら」の話です - 2010.11.19 Fri

    「仙谷官房長官・柳田法相…菅政権、止まらぬ失言 相次ぎ撤回、陳謝」(18日夜の日経電子版)。なにやら、自民党政権末期のような様相を呈し始めた菅直人政権です。しかし、小さな動きではありますが、最近菅首相がこれまでにない動きをみせています。

    ●菅首相が「農地法見直し」に言及

    菅直人 

    そのひとつが、16日の衆議院本会議での菅首相の答弁です。「菅直人首相は16日の衆院本会議で『若い人でも障壁なく農業に参加できるよう農地法など法体系も見直す必要がある』と述べ、農業への新規参入を促す農地法の見直しに言及した」(日本経済新聞)。菅首相は環太平洋パートナーシップ協定(TPP)への参加を「第二の開国」と位置づけています。そのためには、単なる農業保護ではなく、農業の競争力回復が必要ですが、「農地法見直し」はそれにつながる可能性のある発言です。

    ●TPPめぐる世論はホット

    最近、私が講演で訪れた地方でも、大学の教授室でも、人々の最大の関心事は「TPP」です。「TPPが日本経済の回復をもたらす」との期待がある一方で、TPP反対の人たちからは強い反発が出ています。

    朝日新聞によると、全国農協中央会の茂木守会長は「十分な国民的議論がないまま拙速に行うのは問題」とTPPの協議開始にも反対、これに対し日本経団連の米倉弘昌会長は「農業界のTPP反対は自己矛盾」と真っ向から反論したそうです。日本の将来をめぐって世論は真っ二つに割れてきました。

    ●利害対立を弥縫策でごまかしてきた自民党政治

    過去の自民党政権はこうした対立を上手にまるめこんでいました。いわゆる「三方一両損」の変形のような手法です。「三方一両損」とは、落語の大岡政談にあるもので「大工が落とした3両入りの財布を、左官が拾い、両人が受け取らないので、大岡越前守が1両足して、両人に2両ずつ与えるというもの」です(Yahoo知恵袋)。3人がそれぞれ1両損をして、円満に事を納める話です。落語は譲り合いの美談ですが、政治の現実は利益の奪い合いです。対立する双方をなだめて、政府が「1両」を出して双方に我慢させてきたのが自民党の手法ですが、この「1両」は税金です。そして、いまの政府はその「1両」に事欠く状態です。

    大岡越前 

    ●もはや「三方一両損」はできない

    ひとり民主党政権のせいではありません。あらゆる政策分野でこうした弥縫策を続けてきたあげく1000兆円の公的債務を累積させた自民党政権の責任は大きいと思います。しかし、現実の政府が「1両」に事欠くようになったいま、正当でない既得権は撤廃しなければ、公正な利益配分はできなくなっています。TPPをめぐる対立がとげとげしい様相を呈してきたのはこのためだと私は見ます。

    菅政権は支持率が27%(朝日新聞)にまで落ち込んでいます。ここに転回をもたらし、TPPをテコに、転回をもたらす意図が菅首相の「農地法発言」にあったとしたら、事態は新たな様相を呈するでしょう。

    ●菅首相は都市選出議員の原点にもどれるか?

    菅首相は、農村部出身の首相が圧倒的に多い中で珍しい「東京選出の総理大臣」です。都市住民を支えにのしあがってきた政治家です。もちろん「ればたら」の話ですが、菅首相が自らの原点に帰り、現代日本の主人公である都市住民や製造業従事者を大同団結させることができれば、TPPは政治家菅直人の再生をも、もたらすでしょう。

    ●菅首相はブログで何を発信する?

    もうひとつ。菅首相が「ブログ」を始めるそうです。菅首相には「発信がほとんどない」という酷評が定着しています。「ブログ」はそれに対する反応ですが、問題はその中身です。これも「ればたら」ですが、都市住民や製造業従事者の琴線にふれるメッセージが発信されれば、これは反転攻勢の手がかりになるかもしれません。

    ●TPPは日本の将来を決する重要な争点

    最近の朝日新聞の世論調査によると、世論の大勢は早期の解散・総選挙に賛成していません。「民主党対自民党」の選択は不毛と考えているのでしょう。この中でTPPは民意を分ける重要な争点になってきました。TPPを争点とする総選挙なら人々の関心は高まるでしょう。民主党、自民党ともに、内部はTPP賛成派と反対派に割れています。TPP選挙は政界の再編成をうながす可能性があります。「民主対自民」の不毛の選択ではなくなります。

    ●反転攻勢なければ、菅政権は自滅へ

    小泉純一郎 

    小泉純一郎元首相だったら、「郵政民営化選挙」同様の「TPP選挙」に打って出るところでしょう。「郵政民営化」は小泉さんの長年暖めた構想でした。菅さんにとっての「TPP」はそれほどのものではなさそうです。しかし、菅さんがいま「反転攻勢」に出なければ、待っているのは自滅の道です。

    一方、民主党の小沢一郎元代表は18日夜、当選1回の直系議員グループの会合で、菅内閣が「やぶれかぶれ解散をするのではないか」と心配している」との見解を示しました。この中で小沢氏は、選挙になれば「自民党も勝てないし、民主党も勝てない」と分析したそうです。もちろん、小沢氏には、民主党を割らずに政権を手にしたいという底意がのぞくのですが、なぜか私の「「ればたら論」と行き着く先は同じです。「選挙の達人」と呼ばれる小沢氏の見方は大いに参考になります。




     

    教え子と再会 長崎でのうれしいひととき - 2010.11.18 Thu

    滞在正味25時間だった長崎にも楽しいひとときがありました。法政大学での私のゼミの2期生、教え子の上枝一樹君との再会です。上枝君は長崎文化放送の入社3年目のアナウンサーです。

    長崎市電 
    長崎の市電(正確には長崎電鉄)は路面電車の博物館
    鉄ちゃんでなくてもうれしくなる


    原爆のあとを見学したあと、市電に乗って築町へ。長崎中華街の京華園で「長崎ちゃんぽん」という定番を、休日をとった上枝君と一緒にいただきました。立派になった教え子を見るのはなによりうれしいですね。中華街の入り口で、通りがかりの紳士にお願いして記念写真をパチリ。

    上枝 ちゃんぽん 
    上枝アナと私                京華園のちゃんぽん


    上枝アナウンサーは、いま木曜日と金曜日夕方の「スーパーJチャンネル」の長崎ローカル部分のMC、そして、土曜日午前9時半から情報番組「トコトン サタデー」のMCを務める大忙し。私が長崎に着いた夕方の「スーパーJチャンネル」では「自転車飯」という長崎ローカル料理のレポートをしていました。木曜日の「スーパーJチャンネル」には私も東京で出演していますから、江戸と長崎から師弟共演というのもさらにうれしいものです。

    上枝アナウンサーは長崎文化放送のHPに自分のページを持っています。テレビアナウンサーの目を通した長崎情報もご覧ください。右のリンクの欄からも飛べます。

    カステラ 
    福砂屋の「特製五三焼きカステラ」
    ひと味もふた味も違いました


    「ちゃんぽん」の後、また市電に乗って、長崎市の北の外れにある講演会場へ。上枝アナも町議さんたちの許可を得て、私の講演を聴いてくれました。「現役のゼミ生に」と、おみやげにくれた福砂屋の「特製五三焼(ごさんやき)カステラ」。2日後のゼミの時間のおやつに学生諸君と一緒にいただきました。これのまたおいしかったこと。





     

    長崎、原爆、天主堂 - 2010.11.17 Wed

    長崎県西彼杵郡の町議会の研修会で講演する前のわずかな時間を使って「長崎観光」をしました。といっても、原爆の爆心地周辺での2時間弱です。

    ●死者7万3884人

    長崎爆心地 
    長崎の爆心地

    wikipediaによると、長崎への原爆投下は以下のようでした。「1945年8月9日午前11時2分、B-29(ボックスカー)が長崎市に原子爆弾ファットマンを投下した。投下地点は、当日の天候のため目標であった市街中心地から外れ、長崎市北部の松山町171番地(現、松山町5番地)テニスコートの上空であった。当時、長崎市の人口は推定24万人、長崎市の同年12月末の集計によると被害は、死者7万3884人、負傷者7万4909人、罹災人員:12万820人、罹災戸数1万8409戸にのぼった」

    ●中心街はそれたが

    市内北端の投宿先から市電に乗って松山町電停で降り、爆心地の碑の前で合掌するとちょうど午前11時02分でした。長崎市の中心街に投下されるよりは被害は少なかったかもしれませんが、長崎医科大学が爆心地近くだったため、医療救護が思うように進まなかったといううらみがあったそうです。

    ●原爆資料館は満員

    核兵器 
    日本を取り巻く核兵器 原爆資料館の展示から


    原爆資料館には、全国の修学旅行生をはじめ、アジアからの中高校生など世界各国の人々が大勢見学に訪れています。核廃絶の道は遥かとしても、投下後も長く被害を残す兵器について知識を得、あらためて、その非道さを心に刻みつけることは大事なことです。

    ●浦上天主堂とナザレの受胎告知教会

    平和公園脇の坂をのぼって浦上の天主堂の前に出たとき、強い既視感に襲われました。イエス・キリストが幼少時を過ごしたナザレの受胎告知教会を訪れた印象です。もう15年前、ウィーンからイスラエル、パレスチナに家族旅行しました。青空と初冬の肌寒さに乾いた空気や植生、そして新しいカトリック教会の雰囲気が共通しています。ナザレの受胎告知教会には日本のカトリック美術家・長谷川路可が下絵を描き、弟子たちが仕上げたフレスコ画「華の聖母子」があります。かの地ではエキゾチックな「聖母子」のイメージが何か、26聖人の地である長崎と重なり合ったのでしょうか。

    浦上天主堂 
    浦上天主堂

    受胎告知教会華の聖母子
    ナザレの受胎告知教会と「華の聖母子」像
      
    柄にもなく「原罪」を考えさせられました。



     

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    Author: はぎたに じゅん
    TVコメンテーター
    法政大学法学部教授
    元朝日新聞編集委員
     政治記者、カイロ、ウィーン
     ボン特派員などを歴任
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