topimage

    2017-07

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    東京スカイツリー - 2012.05.16 Wed

     22日に公式会場する東京スカイツリー。機会があったので、16日に登ってきました。これまでも近くに行ったことはあるのですが、付帯施設が完成してみると、まさに堂々たる威容です。634メートルのタワーをほぼ垂直に見上げる我が姿はまったくのお上りさんです。

    スカイツリー1 

     入場して高さ350メートルの天望デッキへ。いきなり東京タワー(332.6メートル)越えです。東京タワーができたのは1958年。それから半世紀余。スカイツリーはスケールだけでなく、設備、内装ともに豪華なうえにシックです。最近元気がないとはいえ、日本の国力を感じさせます。垂直に地上が見通せるガラスの床では、安全とはわかっていても、ガラスの上に足を踏み入れるのに、みなさんすこし躊躇します。

    ガラス床 
    ガラスの床に座って。残念ながら地上にはピントがあいませんでした

     さらに、450メートルの天望回廊へ。エレベーターを降りてゆるやかな回廊を登るしつらえは、なかなかの配慮です。隅田川が蛇行するすがた。遠く東京湾を越えて見える千葉県市原や五井の工業地帯。東京が一望のもとに見渡せます。東京タワーが小さく、低く見えます。

    スカイツリー2 
    天望デッキで

     浅草寺や上野公園以外に、スケールの大きなアトラクションの少ない下町に出現したスカイツリーは、さまざまなショップとレストランを備えているだけでなく、浅草という観光名所とのシナジー効果が期待できそうです。東武鉄道というどちらかというと地味な企業がつくった世紀の新名所が、東京下町に新たな魅力を付け加えました。周辺、そして東京、日本の商売繁盛を祈ります。


     
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    シュプリッツアー 猛暑にぴったりの清涼飲料 - 2011.07.25 Mon

    けさのNHK「あさイチ」は炭酸水特集でした。健康に料理に炭酸水がよいというお話でしたが、きょうの私のブログも炭酸水。以前から書こうと思っていたのですが、「政治ネタ」にじゃまされて登場しませんでしたが、「あさイチ」に便乗です。

    ●真夏のウィーンの飲み物

    それは猛暑に最高の飲み物です。真夏の昼、アルコールの入っていない清涼飲料では物足りないが、さりとて、ワイン、ビールは重いとお考えのみなさんはぜひお試しください。私は、これをウィーンに駐在していたころ覚えました。ウィーンはカフェの町。カフェは町の人の応接間として機能します。夏ともなれば、街中のそこここにパラソルやテントで日よけした席がしつらえられます。そこでのウィーン子の飲み物がこれ、Spritzer(シュプリッァー)です。Spritzerはオーストリア・ドイツ語でシュワー・・・と「ほとばしるもの」。

    viennacafe 
    ウィーンの町角の小さなカフェ

    ●ワインの炭酸水割り「Spritzer」

    ワインを炭酸水で割った飲み物です。眉をひそめる方がいるのが目に見えるようです。日本人の多くが「ワイン道」に傾き、フランスワインを最高と考えている中では、たしかにこれは邪道の飲み方かもしれません。オーストリアではポピュラーな飲み物ですが、日本のレストランでこれを用意しているところに行き当たったことはありません。でも、これは猛暑の夏には最高のアルコール入り清涼飲料です。

    ●材料、作り方は簡単

    作り方は簡単です。材料はワイン(赤でも白でも)、氷、炭酸水、グラスだけです。オーストリアではワイン表示法という法律の第4条でSpritzerの成分が決められています(いかにもドイツ民族です)。いわく、ワインが少なくとも50%、炭酸水が多くても50%で、最低4.5%のアルコール分があること、だそうです。ただ、夏には炭酸水を多めに、冬にはワインを多めにという手加減もするそうです。オーストリアでは、氷は普通供されませんが、高温多湿の日本では氷を入れると一段と夏向きになりますし、炭酸水を冷やしておく手間が省けます。

    spritzer 
    これは白ワインでつくってみました

    ●安いワインで十分

    Spritzerの良さはアルコール分を自分の好みで調節できること、そして後口(あとくち)の良さです。ワインの白か赤かはお好みですが、私は後口の点で赤をおすすめします。そして何より大事なのはワインの等級です。高級フランスワインや高級ドイツワインはまったくのムダです。そのへんのスーパーでカリフォルニア、チリ、南アフリカなどからの輸入ワインを買ってくればよいのです。私の愛用のワインはコストコで買ってくる1本500円以下のチリワイン「ポルタ」です。大事なことは甘くないこと、そのままで飲むと少し重いかなというようなワインがよいようです。

    porta 

    ●炭酸のしっかり入った炭酸水が必要

    そして、もう一つ大事なのは、炭酸ガスがたっぷり入った炭酸水。日本でおなじみの、WILKINSON、PerrierやS.PELLEGRINOではガスが物足りません。サッポロが代理店になったドイツの炭酸水、モーレツにガスたっぷりのGEROLSTEINERがおすすめです。

    ●清涼飲料と風土

    飲み物は風土に合うかどうかが一番です。ビールだって、日本ではドイツビールより国産ビールの方が上です。同じ高温多湿のサンミゲル(フィリピン)など東南アジアのものもよいのです。一方、乾燥したヨーロッパではまた違います。日本ビールはあまり合いませんが、PERNODなどというアニス入りの酒さえその風土には合います。かつて、ニュースステーションのでジェノバ・サミットを取材した夏のことです。コーディネーターをしてくれたローマ在住の日本人Iさんは、1日に15杯もジントニックを飲む人でした。ちょっと休憩でバーに入っては「ジントニック」です。最初はあきれていた私もお付き合いを始めたら、これが不思議、飲んだあと、あっという間にアルコールが抜けて、立ちレポにも一切差し支えないのです。イタリアの風土に合っているのでしょうね。ジントニックを呑み呑み(といっても、日中で4杯ぐらいでしたが)、デモ隊と警察の市街戦を取材したものです。帰国してから、ジントニックを試してみたのですが、イタリアでのようにはしっくりときません。翌夏、Iさんがイタリアワインのプロモーションで帰国しました。見本でもってきたワインは売るわけにはいかないのでと、残った20本ぐらいをプレゼントしてくれました。そのひと夏は、Spritzer三昧でした。Spritzerは日本の夏に合っていると確信したのはこの時でした。

    ●Spritzer供するお店も

    これまでも知人にはお教えしていたのですが、その中からお客に供してくれる店が出てきました。長野市の善光寺大門前の創作郷土料理の「門前茶寮・弥生座」です。積乱雲がもくもくと浮かぶ青空の下、汗をふきふきお参りしたあとにはSpritzerは最高でしょうね。
     

    アカデミー賞も高齢化? 「英国王のスピーチ」受賞 - 2011.03.01 Tue

    2月28日(日本時間)、第83回アカデミー賞の作品賞が「英国王のスピーチ」に与えられことが決まりました。「英国王のスピーチ」は作品賞のほか、トム・フーバー監督に監督賞、ジョージ6世を演じたコリン・ファースに主演男優賞が与えられ、また脚本賞も受賞しました。「英国王のスピーチ」については、このブログでも取り上げました。
    hagitani.blog51.fc2.com/blog-entry-115.html 6部門の賞に輝いた昨年の「ハートロッカー」ほどではありませんが、順当な受賞といえるでしょう。

    oscar83 

    ●オスカー選考の高齢化

    28日、オスカーの行方が気になっていろいろなニュースをインターネットで漁る中で、ちょっと気になることをBBCのニュースが書いていました。それはオスカー選考の「高齢化」です。アカデミー賞は映画芸術科学アカデミーによって選考されます。ですから「アカデミー賞」なのです。映画芸術科学アカデミーの会員は、アメリカを中心とする30数カ国の映画業界のプロフェッショナル6,000人以上からなっていますが、その平均年齢は51歳なのだそうです。BBCは「ソーシャル・ネットワークのような若者文化を扱うものは受賞しにくい」と書いていました。それでも、「ソーシャル・ネットワーク」は脚色賞、作曲賞、編集賞を受賞しました。

    ●選考の高齢化は先進国の高齢化を反映

    oscars 

    アカデミーの「高齢化」は、アカデミー会員の主流をなす先進国の高齢化をそのまま反映したものでしょう。「英国王のスピーチ」は還暦すぎの私にとって、落ち着いて見られる映画でした。英王室の秘話、そして第二次世界大戦という時代背景も高齢者向きです。年配の映画好きにとっては、「ソーシャル・ネットワーク」の世界は縁遠く、受賞しなかった「127時間」は刺激が強すぎたかもしれません。個人的には「127時間」が無冠だったのは少し残念ですが。

    ●政治の意思決定の高齢化も進む

    アカデミーの「高齢化」は別の「高齢化」を考えさせます。それは、先進国民主主義の高齢化です。先進国の有権者は高齢化しています。それに加えて選挙への参加意欲(投票率)も年配者ほど高いのが常です。その結果、政治の選択が常に高齢者優位で、若者の声は反映されにくいのです。世論調査ではその傾向はさらに顕著になります。世論調査対象者を選ぶRDDという方法は、固定電話の電話番号から対象者を選びます。ということは固定電話を持たないで携帯電話を使っている若者たちは対象になりにくいのです。世論調査にも若者の声は反映されにくいわけです。

    youth 

    ●若者よ声をあげよ

    最近では、民主党政権の政策にばらまき4K(高速道路無料化、子ども手当、高校授業料無料化、農家の戸別所得保障)というあだながつけられています。ばらまきという評価が正しいかどうかは議論の分かれるところですが、全共闘世代のおっさんたちの政権が若者につけ回しをしかねないものでもあります。オスカーぐらいならかまわないかもしれませんが、政治の意思決定の高齢化はなんとかしなくてはいけないでしょうね。



    大雪 重い雪 軽い雪 - 2011.02.15 Tue

    夕方から降り始めた雪が夜半には10センチを超える積雪になりました。大雪です。2月に大雪になると、亡くなった母はよく2・26事件の話をしたものです。昭和11年、母の家は東京・牛込にありました。反乱発生後、戒厳司令部から家に警備の小部隊が派遣されました。降る雪の中玄関前に歩哨に立つ兵隊さんと、叉銃。母の祖父はそれより10余年前に暗殺されていました。このときは一族に危険は及ばなかったのですが、まだ16歳だった母には重苦しく、恐ろしい思い出でした。

    226 
    2・26事件発生庁直後の半蔵門付近

    ●重い雪 軽い雪

    戦後生まれ、東京育ちの私にとっては、雪は楽しいものです。いま降っている雪はひとつひとつが大きく、かなりのスピードでぼたぼた落下してきます。いわゆる牡丹雪です。先日山形県のあつみ温泉で、降る雪をながめていたとき、その雪が小さく、ゆっくりと文字通り舞い降りてくるさまに心を奪われました。宿の女性に「ゆっくりと落ちてくるんですねえ」と声をかけると、「気温が低いから、結晶が小さくて、乾いた雪です。ですから、私たちは傘をさしません。ショールをかぶるだけでいいんですよ」という答えがかえってきました。”雪の道を角巻きの影がふたつ「どサ」「ゆサ」” 朝日新聞新人国記青森編で、名文記者の誉れ高い故疋田桂一郎記者が書いた情景を思い浮かべました。この北国の雪と比べると、関東の2月の雪は重く湿っていて、詩情の点ではいま一つです。あす、お日様が出れば溶けてしまいます。子どものころはそれが口惜しかったものです。

    [高画質で再生]

    雪のあつみ温泉(再録)

    ●かみゆきに信州人の詩情を思う

    こうした湿った雪にも詩情がこもることは、20代に勤務した長野で知りました。長野市自体は豪雪地帯ではありません。4年弱いたうちでも、車が動かせなくなったほどの雪はほんのわずかでした。そんな雪の朝、地方版に雪の話を書くために取材している中で「かみゆき」ということばを知りました。北信の人々は、湿った雪が降ると、空を見上げて「おお。かみゆきだやあ」といいます。「かみゆき」は「上雪」、ときには「神雪」とも書きます。本州の南岸を低気圧が発達しながら北上するときの雪です。この春型の湿って重い雪を冬型の乾いた軽い雪と区別して「かみゆき」と呼びます。昔、都のあった京都(上方=かみがた)に近い方から降ってくる雪だからのようです。そういえば、新潟県の上越、中越、下越地方も京都に近い方が「上」です。「かみゆき」は春が遠くないことを知らせる雪。それを文化の流れと重ね合わせたのでしょうか。「かみゆき」ということばのやわらかな響きは昔の信州の人々の素朴な詩情をうかがわせます。

    ●受験生たちよ、無事で

    太平洋岸に住む私たちにとって雪は非日常ですから、いろいろのことを考えるのでしょう。日付けが変わるころ、バイトから帰ってきた三男が「感動した!」と帰ってきて、携帯で撮った写真を見せてくれました。近所の公園の雪の積もった斜面に大きく「おつかれさまです」と書いてあるのです。

    おつかれさま 

    バイトで疲れた身にうれしかったのでしょう。長男は道路から玄関までの雪かきをしてくれました。明日の朝にはどれほど積もっているのでしょうか。でも、いまは大学受験の真っ最中。受験生の足に影響が出ないことを願います。

     

    東北の温泉、あれから50年 - 2011.02.05 Sat

    1月から2月にかけて、仕事で山形県、秋田県、岩手県、宮城県、青森県を訪れる機会がありました。東北地方をこれだけ回ったのは、1963年秋の中学の修学旅行以来です。これを利用して、修学旅行で宿泊した岩手県繋(つなぎ)温泉、青森県浅虫温泉を訪ねました。

    ●山間の温泉地が一大観光資源に

    御所湖 
    全面結氷した御所湖

    繋温泉は盛岡駅からバスで30分ほど。11世紀半ばの前九年の役の時、源義家が愛馬の傷をこの温泉で洗うと快癒したので、義家も愛馬を穴のあいた石に繋いで入浴したと言われ、以来繋温泉と呼ばれるようになったといういわれがあります(岩手県盛岡市つなぎ温泉観光協会HP)。繋温泉には30年ほど前にも、近くの地熱発電をめぐる取材で泊まったことがあります。ところが50年前、いや30年前と比べてもまったくの様変わりです。かつては山間の温泉地でしたが、御所湖という人造湖を前にした広々とした景色になっていました。御所ダムが竣工したのが1981年ですから、私が知らないはずです。いまや国土交通省・水資源機構所管のダム湖の中で年間湖面利用者が第1位という盛岡市の一大観光資源になったと聞きました。

    ●白いお湯だったんだけど?

    善五郎そば 
    お昼の善五郎そば。「もっと高いものでもいいんですよ!」といわれてしまった

    立ち寄ったのは50年前、30年前に泊まった「愛真館」。今回は日帰り入浴です。昼食とタオル付きで1300円ですから極めて良心的です。かつて木造だった旅館はいまや鉄筋コンクリートに。浴場もかつては薄暗い木造白熱電球だったのですが、大きなヒノキの浴槽以外は今風です。白く濁った硫黄泉だったのが、透明なお湯になっています。「白いお湯だったんだけど?」と尋ねても居合わせた従業員の方たちでは、もう知る人もいませんでした。でも、お湯は最高。空から降ってくる風花を眺めながら、たっぷり1時間、ぬるめの露天風呂を楽しみました。

    ●浅虫は「麻を蒸す」ことから

    青森市内積雪 
    青森市内の積雪

    それから2週間後、今度は浅虫温泉です。平安時代に慈覚大師(円仁)により発見された温泉は、布を織る麻を蒸すためだけに使われていました。1190年にこの地を訪れた円光大師(法然)が、傷ついた鹿が湯浴みするのを見て村人に入浴をすすめ、それ以来人々に利用されるようになりました。温泉名も麻を蒸すことに由来し、「麻蒸(あさむし)」が転じて「浅虫」になったといわれています(浅虫温泉HP)。

    ●50年でここも大きく様変わり

    浅虫 
    旅館の部屋から見た陸奥湾に浮かぶ湯の島

    宿泊したのは「海扇閣」。修学旅行のときに泊まった「南部屋」の姉妹旅館ということでした。陸奥湾に浮かぶ湯の島の美しい姿が9階の露天風呂からみえます。エレベーターにはお年寄り用にいすが用意してあったり、部屋には加湿器がおかれていたり、細やかな心遣いがうれしい宿です。翌朝出発の前に女将に聞くと、かつて泊まった木造3階建ての南部屋の敷地に「海扇閣」が建っているそうで、50年前には目の前の海岸沿いの国道4号バイパスはまだなくて、宿の庭からそのまま浜辺に出られたとか。約半世紀の間にここも大きく変わっていました。昨年12月に東北新幹線が新青森まで開通したため、青森はちょっとした観光ブームです。「海扇閣」も例年なら閑散期なのに、3月まで予約がいっぱいだそうです。しかし、青森の人々は「2015年に新幹線が函館まで開通するまでの繁栄」と早くも心配そうでした。

    ●ヒメマスの燻製でかつてをしのぶ

    ヒメマス 
    昔と同じ味かな? ヒメマスの燻製

    修学旅行のときの思い出もいまや夢のよう。松島、中尊寺、小岩井牧場や十和田湖、奥入瀬などを回ったのです。中学生ですから、名所旧跡や温泉よりも、部屋での大騒ぎの方が関心事でした。それでも、お土産にビン入りの小岩井バター十和田湖のヒメマスの燻製を買ったのを思い出して、今回はヒメマスの燻製を買いました。修学旅行にときにヒメマスを買ったのは和井内貞行(魚の住まない十和田湖でヒメマスの養魚に成功した先人)の伝記を読んでいたからだったなあと思い出したからです。ちょっとしたセンチメンタルジャーニーだったのですが、このあいだじゅう、インターネットでアルジャジーラやBBCでエジプト情勢をウォッチしていたのが、いかにも今風でした。




     

    だんだん不快に 海老蔵傷害事件での”言論戦” - 2010.12.17 Fri

    事件そのものは、酔っ払い同士のもめごとから派生した傷害事件です。世間にはよくあることです。刑事事件にならず、示談で済まされることも少なくありません。どちらかが被害届を警察に出せば、刑事事件になります。双方が被害届を出せば、相(あい)被疑者ということで処理され、一方あるいは双方に相応の刑事処罰がされることになりますが、世間が知るところにはならないのが普通です。

    しかし、今回は一方の当事者が当代一の花形役者・市川海老蔵さんだったことで、そうはいかなくなりました。また、他方が暴走族グループに属する若者だったことで事態がさらにややこしくなりました。

    奴 蝦蔵 

    海老蔵さん側の「100%被害者だった」という主張には少なからず疑問符がつくとみる人が多いようです。また、加害者とされる側では、伊藤リオン容疑者が事件から2週間後に逮捕されましたが、本人が主張するような単独犯行だったかどうかは怪しいとみられています。さらに、伊藤容疑者の言動からは仲間や組織をかばって一人で罪を背負い、男を上げるというねらいも感じられます。

    もめごとの当事者がこうなら、警察も今回はいささか変です。いくら仲間がかくまっていたとしても、長い間容疑者を逮捕できない(しない)でいたのは奇妙です。かくまった連中は犯人隠秘なのに指をくわえてみていたのでしょうか。

    双方には有力な弁護士がつき、司法の場外で”言論戦”を繰り広げます。それをテレビを中心としたメディアがこれでもか、これでもかと伝えています。まさに、メディア時代ならではということになるのですが、どうもこれは正常ではありません。

    助六 

    民事責任のありようが刑事責任の程度を左右し、刑事責任のありようが民事責任の程度を左右するのは事実です。暴走族グループと海老蔵さん側それぞれには守らなくてはならない、あるいは隠さなくてはならないものがあるようです。そして、そのかけひきの周辺からは微妙な金銭の匂いがします。それをメディアはまるで、スポーツ中継がゲームの勝ち負けをめぐって刻々起きる経過を伝え、解説するような調子で伝えています。別の見方をすれば、社会の公器であるメディアが酔っ払いのけんかの後始末のかけひきの場所として使われているのです。

    12月17日付の夕刊フジによると、7日の海老蔵さんの退院&謝罪会見はオリコンの推定で約7億6000万円の経済効果だといいます。メディアがこれを伝え、視聴者がおもしろがった結果です。しかし、16日のテレビのワイドショーを見ていると、闇世界のかけひきを白昼公然と見せつけられているような不快感がわいてきました。


     

    長崎、原爆、天主堂 - 2010.11.17 Wed

    長崎県西彼杵郡の町議会の研修会で講演する前のわずかな時間を使って「長崎観光」をしました。といっても、原爆の爆心地周辺での2時間弱です。

    ●死者7万3884人

    長崎爆心地 
    長崎の爆心地

    wikipediaによると、長崎への原爆投下は以下のようでした。「1945年8月9日午前11時2分、B-29(ボックスカー)が長崎市に原子爆弾ファットマンを投下した。投下地点は、当日の天候のため目標であった市街中心地から外れ、長崎市北部の松山町171番地(現、松山町5番地)テニスコートの上空であった。当時、長崎市の人口は推定24万人、長崎市の同年12月末の集計によると被害は、死者7万3884人、負傷者7万4909人、罹災人員:12万820人、罹災戸数1万8409戸にのぼった」

    ●中心街はそれたが

    市内北端の投宿先から市電に乗って松山町電停で降り、爆心地の碑の前で合掌するとちょうど午前11時02分でした。長崎市の中心街に投下されるよりは被害は少なかったかもしれませんが、長崎医科大学が爆心地近くだったため、医療救護が思うように進まなかったといううらみがあったそうです。

    ●原爆資料館は満員

    核兵器 
    日本を取り巻く核兵器 原爆資料館の展示から


    原爆資料館には、全国の修学旅行生をはじめ、アジアからの中高校生など世界各国の人々が大勢見学に訪れています。核廃絶の道は遥かとしても、投下後も長く被害を残す兵器について知識を得、あらためて、その非道さを心に刻みつけることは大事なことです。

    ●浦上天主堂とナザレの受胎告知教会

    平和公園脇の坂をのぼって浦上の天主堂の前に出たとき、強い既視感に襲われました。イエス・キリストが幼少時を過ごしたナザレの受胎告知教会を訪れた印象です。もう15年前、ウィーンからイスラエル、パレスチナに家族旅行しました。青空と初冬の肌寒さに乾いた空気や植生、そして新しいカトリック教会の雰囲気が共通しています。ナザレの受胎告知教会には日本のカトリック美術家・長谷川路可が下絵を描き、弟子たちが仕上げたフレスコ画「華の聖母子」があります。かの地ではエキゾチックな「聖母子」のイメージが何か、26聖人の地である長崎と重なり合ったのでしょうか。

    浦上天主堂 
    浦上天主堂

    受胎告知教会華の聖母子
    ナザレの受胎告知教会と「華の聖母子」像
      
    柄にもなく「原罪」を考えさせられました。



     

    世の中いろいろ、人もいろいろ - 2010.11.10 Wed

    週一回六本木に行くときに、ランチに寄るカフェがあります。先日のこと、何かただならぬ雰囲気です。2、3日前に来た7人連れのお客。食事をして、いざ勘定という段になって、「財布を置いてきてしまった。今度払うから」といいいます。顔なじみのお客でないので、「何か証拠になるものを置いていってください」というと、免許証を置いていきました。そのままなしのつぶてだそうです

    ●無銭飲食?

    免許証を頼りにそのお客を探しても、「個人情報の秘匿」の壁が立ちはだかります。マスターのお孫さんが「これは無銭飲食よ! 警察に連絡しなきゃ」といいます。マダムは「もうちょっと待ってみたら」と躊躇します。免許証の写真で本人であることは確認済みだというのですが、免許証を置いたまま、なしのつぶてはちょっと変です。「うちのようなお店にとっては、この金額は大きいのよ。電話1本いれてくれたらいいのに」というマダム。お孫さんは「電話するわよ」と警察に電話しました。早速、お巡りさんがやってきて、事情を聞かれて、帰ったあと、マスターが戻ってきました。

    ●マスター慌てず騒がず

    事情を聞いたマスターは慌てず騒がず。「世の中、いろいろだから、そういう人もいるよ。2、3日待ってみようよ」といいます。無銭飲食説に傾いていた私は「そういう考え方もあるなあ」「お店をやっていたら、お客を信用しなければ、サービスにも影響するしなあ」と思ったものです。

    ●人生いろいろ、世の中いろいろ

    結果を知るのがなんとなく怖くて、1週間空けて、先週また行ってみました。マダムは「あれから2、3日たって来たんですよ。ボーッとそこに立って。払っていってくれました」。他人事ながら、ほっと安堵の胸をなでおろしました。「マスターの勝ちだったね」と私。人生いろいろ。マスターの心にちょっと感動しました。

    ●見慣れた景色にも心和む

    食後のコーヒーを飲んでいると、今度はウェートレスのお嬢さんが、「あらかわいい」と店の外を指さします。見ると、四つ角に面したウィンドウの外、交差点のコーナーにおいたささやかな鉢植えの前に3歳ぐらいの女の子が立っています。赤いフードつきのレインコートを着たその子の写真をおばあちゃんでしょうか、身をかがめて写真を撮っています。ちょうど、雲間からのぞいたお日様が、明るく柔らかい逆光で女の子を際立たせていました。ほんの短い間の逆光のチャンス。女の子を包み込む鉢植えの花の前で、それもローアングルで写真をとるおばあちゃん。ただものではありません。

    ●ちょっといい気分

    店の前にテーブルを出しているお店です。歩道のお花は、そのお店が出しているそうです。それまで何回も来ていたのに、店内からながめる四つ角の光景がなんとなくパリめいてさえ見えました。晩秋の都心で、ちょっといい気分にしてもらった昼下がりでした。

     

    ここまでやるかインスタントラーメン 酸辣湯麺に脱帽 - 2010.10.30 Sat

    以前、酸辣湯のつくり方を書きました。その後、何回かやってみて、ストライクゾーンの広い料理だな、とあらためて驚いています。出たとこ勝負で調味料を使っても、きちんと酸辣湯になっています。また、麺を入れたら立派な酸辣湯麺になりました。

    ●インスタントの酸辣湯麺にぎゃふん
     
    ところが、わが奥さんが偶然買ってきたインスタントの酸辣湯麺にぎゃふんといわされました。かんたん。パッケージの説明通りタマゴ一個、鍋ひとつと水600mlだけ。鍋をコンロ(古いですね)のうえでかけかえる手間もいらずに、へたな中華料理屋さんよりおいしい酸辣湯麺ができてしまうのです。
     
    pack
    http://www.myojofoods.co.jp/products/product_detail.html?id=4902881052955
     
    明星食品の「明星 中華三昧 赤坂榮林(エイリン) 酸辣湯麺(スーラータンメン)」です。前のブログを書くとき、「サンラータン」にするか、「スーラータン」にするか迷いました。赤坂榮林では「スーラータンメン」といっていたからです。

    ●マニュアル通りで完璧な味
     
    パッケージに書いてある作り方。600mlのお湯で3分間麺をゆでたら、麺だけをどんぶりにとり、残りの鍋に粉末スープを入れ、溶き卵1個分を回し入れてひと煮立てし、液体スープを入れて、どんぶりにスープを入れる。それだけです。私は好みで粒こしょうをひいて少し加えます。その結果が次の通りです。
     
    酸辣湯麺
     
    ●ここまで進歩した「かんたんに、おいしく」

    安藤百福さんが発明したインスタントラーメン。様々な改良が加えられましたが、インスタントラーメンが登場したのは、私の小学生のころ、私の世代の人生はインスタントラーメンの発達とともにありました。酸辣湯麺が、ストライクゾーンの広い料理だということもあるでしょう。それにしても、「かんたんに、おいしく」が、ここまできたたか、と感慨ひとしおです。
     
    箱

    ●買いだめしてしまった

    おまけに140円。ことし8月の新製品ですが、入れ替わりの激しいインスタントラーメン業界です。「なくなったら、いやだな」と近所のOKストアに行ったら、ありました。3袋入りパックが313円。一袋100円強ときては、食材を集めてつくるのがばかばかしくなります。ごらんのように、ひと箱24袋入りを買ってしまいました。もう一人で留守番も苦ではなくなるかな(笑)。明星食品にファンレターを出したくなるほどです。






    芸術祭に「ロック」を持ち込んだ文部大臣 - 2010.10.29 Fri

    水木しげるさんが文化功労者になったことをお祝いするブログで、「文化庁も変わった」と書いて、32年前の個人的経験を思い出しました。

    ●芸術祭に「ロック」を持ち込んだ文部大臣
     
    1978年です。私は朝日新聞政治部の文部省担当でした。政治部の文部省担当がカバーするのは、大臣と日教組でした。日教組の委員長は"ミスター日教組”槙枝元文さん。これに対して、福田赳夫内閣の文部大臣は故砂田重民(すなだ しげたみ)さんでした。砂田さんは、立教ボーイでベストドレッサーにも選ばれた紳士で、珍しくスマートな政治家です。その砂田さんが、文化庁主催の芸術祭に初めて「ロック」を持ち込んだのでした。下の「文相お声がかり 芸術祭にロック」というのが、そのときの私の記事です。

    砂田 
    1978年5月5日朝日新聞朝刊2面

    この記事をみつけるために、大学の図書館で朝日新聞の古い縮刷版をめくりました。愕然としたのは、もう裸眼では縮刷版の記事は読めないこと。地下の閲覧室で見出しを頼りに捜しました。やっと見つけたとき、砂田さんの思い出がたくさん浮かびあがりました。
     
    ●砂田さんのコレクションは立教大学が保管

    砂田さんは、ロックミュージックや、フォークソングの愛好家でした。ご自宅に夜回り(夜、取材先の自宅を訪ねて取材すること)に行くと、マッキントッシュのアンプと大きなJBLのスピーカーの置いてある自室に通されて、音楽を聴きながらの取材でした。5411枚に及ぶ砂田さんのレコードのコレクションはいま、母校の立教大学に寄付されメディアライブラリーに「砂田重民LPコレクション」として保管されています。www.rikkyo.ac.jp/research/library/archives/sunadacollection/

    ●「古色蒼然たる文部省・文化庁」と書いた謹厳な先輩
     
    その砂田さんが、頭の固い文化庁官僚を説得して、ロックを芸術祭に登場させたのはニュースです。政治部の同僚にそんな話をしたら、「記者席」というコラムを担当している先輩がやってきて、「データを提供しなさい」ということになりました。「記者席」は当時の私のような駆け出しの記者が書くのではなく、中堅の記者が交代で書くことになっていました。
     
    上の紙面のうち、「異色の響き奏でる”文化相”」という方が、先輩記者の書いた「記者席」です。たしかに、日教組との対決姿勢を前面に出す大臣が多かった中で、文化それも若者文化に理解を示す砂田さんは「文化相」というのにふさわしい大臣でした。

    文部省 
    現在の文部科学省。砂田文相当時は手前の茶色のビル
     
    「記者席」の一部を引用します。「祭典の具体化を指示されたお役人にとって、砂田文相の口から飛び出すカタカナ名の曲名や外人演奏家がまるでちんぷんかんぷん。『帰宅して子どもに聞いてやっとわかった』
    (某幹部)とかで、古色蒼然たる文部省・文化庁に”ジャズ旋風”が吹き込んだ感じ」。というのですが、私は違和感を覚えました。当時すでにジャズは市民権を得ていました。砂田さんが市民権を与えようとしていたのは、ベトナム反戦世代の音楽であるロックとフォークだったのに。謹厳なことでは定評のあった先輩(故人になられましたが)は”ジャズ旋風”と一緒くたにしまったからです。

    ●私までロック・ファンと......
     
    一緒くたといえば、この記事を書いたおかげで、政治部では「萩谷はロックファンだ」といういわれない評価まで私につきまとうことになりました。当時の政治部の表のカルチャーでは、それはよい評価ではありません。正統派のクラシック音楽ファンである私はその芸術祭には行きませんでしたが、同僚の中にはチケットをほしがる人もいました。表のカルチャーをよそに、ロック文化はすでに政治部にも相当浸透していたようです。

    ●S&Gの「明日に架ける橋」をこよなく愛した政治家

    S&G サイモンとガーファンクル

    砂田さんは選挙に強いとはいえない政治家で、落選中に次の選挙に向けて、いわゆる「代議士本」を出版しました。そのタイトルは「明日に架ける橋」。サイモンとガーファンクルのエバーグリーン「Bridge over Troubled Water」です。「この曲が一番好きなんだ」とよくいっておられました。1982年、私が西ドイツ・ケルンの放送局に派遣されていたとき、欧州出張途中にケルンに立ち寄ってくれました。そのとき、ケルンの大聖堂に面したDom Hotelのカフェでお会いしたのは忘れられません。砂田さんは第2次海部俊樹内閣の北海道開発庁長官兼沖縄開発庁長官に就任しましたが、病気のため任期途中で辞任し、1990年に73歳で亡くなりました。私は、当時カイロ特派員で、湾岸危機取材に釘付けになっていて葬儀に参列できませんでした。そして、奥様もまもなく、後を追うように亡くなってしまいました。

    DomHotel 
    ケルンの大聖堂とDom Hotel(左)

    砂田さんとは、ほかにも印象的な思い出があります。いずれ機会がありましたら、ちょっとびっくりの歴史の裏話を書こうと思っています。 


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     はぎたに じゅん

    Author: はぎたに じゅん
    TVコメンテーター
    法政大学法学部教授
    元朝日新聞編集委員
     政治記者、カイロ、ウィーン
     ボン特派員などを歴任
    出演番組
     スーパーJチャンネル(金)
     モーニングバード!(水)
     ワイド!スクランブル(月)
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